日本大百科全書(ニッポニカ) 「マオリ」の意味・わかりやすい解説
マオリ
まおり
Maori
ニュージーランドの先住民。人種的にも文化的にもポリネシア系に属す。
考古学の調査によれば、クック諸島ないしソシエテ諸島から来島したと考えられるが、マルケサス諸島からの可能性もいまだ完全には否定されていない。ニュージーランドに人が住み始めたのは紀元1000年紀の終わりころで、それから14世紀なかばに至るまで人々の生活は主として採集狩猟によるものであった。その後、北島ではそれまでごく影の薄い存在であった農業が主たる生業となり、また今日のマオリに特有な螺線(らせん)文様の美術様式も開花する。伝説によれば、この時期に数隻のカヌーにより大移住が果たされたとあり、今日でも社会組織の起源を語るものとしてはこの伝説が重要視されているが、考古学的にはむしろこの時期以前と以後の文化の間に著しい断絶は認められないようである。熱帯ポリネシアから持ち込まれたタロイモ、ヤムイモ、サツマイモ、ヒョウタンの4種の作物のうちでもっとも温帯気候に適したサツマイモを主作物として、人口の大多数は北島で焼畑耕作に従事するようになり、周囲に柵(さく)を巡らしたパとよばれる要塞(ようさい)のような集落に住んでいた。社会は、最初の移住者を祖先と仰ぐ人々の集団である部族、土地所有の単位としての亜部族、その下位の世帯とそれぞれに分節していたが、部族を超えた政治統合が達成されたことはなく、恒常的な戦闘状態にあった。一方、サツマイモの耕作にも適さない南島では、少数の人々が相変わらず採集狩猟の移動生活をしていた。
18世紀末には10万ないし15万と推定される人口も、19世紀中葉に始まった植民地化のため一時は4万人近くに減少したが、しだいに回復して現在は52万6281人(2001)で、総人口の14%を占める。今日のマオリは西欧文化への同化の成功例としてしばしば引き合いに出されるが、その反面、都市生活者の著しい増加、マオリ語人口の減少などから文化喪失の危険に気づいた一部の人々の間では文化保護が叫ばれている。彼らの伝統工芸としては木彫が発達し、集落の集会所には神々をかたどった精巧な彫刻が施された。また緑石の石斧(せきふ)・武器・装身具、衣類としての亜麻(あま)布の作製はポリネシア文化のなかでは異色のものである。近年では、先住民の権利回復を目ざす運動が、各地で進行しつつある。
[山本真鳥]