改訂新版 世界大百科事典 「マガダ」の意味・わかりやすい解説
マガダ
Magadha
古代インドの地名,国名。ガンガー(ガンジス)中流域の南岸地域で,今日のビハール州南部にあたる。前6世紀から1000年以上にわたり,諸王朝の下で北インドの政治,経済,文化の中心で,仏教,ジャイナ教もこの地で誕生した。
マガダ国が歴史の舞台で主役を演ずるのは,〈十六大国〉の一つとなった前6世紀からである。ラージャグリハ(王舎城)を首都とするこの国は,前6世紀の後半にビンビサーラ,アジャータシャトル父子のもとで強力となり,東方のアンガ国,北方のブリジVṛjji国,コーサラ国を次々に征服した。その後も西部インド方面に勢力を拡大し,前4世紀半ばのナンダ朝の時代にはガンガー流域のほぼ全域を支配するにいたった。この間,都はガンガー河畔のパータリプトラに移されている。ナンダ朝を倒しマウリヤ朝(前317ころ-前180ころ)を創始したチャンドラグプタは,西北インドとデカンを征服し,インド史上最初の統一帝国の建設者となった。帝国は前3世紀の半ばに出たアショーカ王の時代に最大となり,その版図は半島南端部を除くインド亜大陸のほぼ全域に及んだ。しかし,帝国はアショーカ王の死後ほどなく分裂し,マウリヤ朝を継いだシュンガ朝(前180ころ-前68ころ),カーンバ朝(前75ころ-前30ころ)の時代にはガンガー流域を支配するにとどまった。
カーンバ朝の滅亡以後の約350年間,マガダ国には有力な王朝が現れなかった。この国に昔日の繁栄を回復させたのは,チャンドラグプタ1世の創始したグプタ朝(320-6世紀半ば)である。征服王として知られる第2代のサムドラグプタは,ガンガー流域一帯を支配下に収めるとともに,遠く南インドにも征服軍を進め,この地の諸王に臣従の礼をとらせている。つづくチャンドラグプタ2世は,西部インド方面を征服して,これをグプタ領に加えた。6世紀に入りグプタ朝が衰退すると,マガダ国は再び没落し,北インドの政治の中心はパータリプトラからガンガー上流のカナウジに移った。
マガダ国が長期にわたりインド史上の中心勢力でありえたのは,この地が穀倉地帯であったこと,鉱山資源が豊富であったこと,水陸交通の便に恵まれていたことなどによる。またバラモン文化の中心(ガンガー上流域)から離れたところに位置するこの地の住民が,伝統にとらわれぬ進取の気風をもっていたこともその一因といえる。
執筆者:山崎 元一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報