マリア・ルーズ号事件(読み)まりあるーずごうじけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マリア・ルーズ号事件」の意味・わかりやすい解説

マリア・ルーズ号事件
まりあるーずごうじけん

1872年(明治5)7月のペルー船マリア・ルーズ号による清(しん)の苦力(クーリー)売買に端を発した日本とペルーの紛争事件。同船は231名の苦力を輸送中、6月4日に修理のため横浜に入港。その際監禁されていた苦力が逃亡しイギリス軍艦に救助を求めた。イギリス公使からの通報に際し、司法卿(きょう)江藤新平、神奈川県令陸奥宗光(むつむねみつ)は条約未締約国などの理由で外交問題化に反対した。しかし外務卿副島種臣(そえじまたねおみ)は太政(だじょう)大臣三条実美(さねとみ)に諮り、これを奴隷売買事件として外務省管下の裁判とすることを決定、大江卓(たく)を神奈川県令(のち権令)に任じ、特命裁判長とした。ドイツなどの領事から、条約未締約国との交渉は領事団との商議事項であるとする抗議があったが、審理は未締約国裁判として各国領事立会いのもとに進められ、大江船長ヘレイラを裁判所に召喚し、人身売買の疑いがあるとして苦力全員の釈放・本国送還を命令、船長は上海(シャンハイ)へ逃亡した。裁判の過程で日本の芸娼妓(げいしょうぎ)約定が奴隷契約であると批判されたために、政府は急遽(きゅうきょ)、「娼妓解放令」を布告した。その後、ペルー政府がこの判決を不服としたため、1875年、アメリカ公使デ・ロング勧告で、もっとも両国利害関係が薄いと考えられたロシア政府に仲裁裁判を依頼することとなったが、結局、日本の主張が認められた。

[滝澤民夫]

『伊藤秀吉著『日本廃娼運動史』(1931・廓清会婦人矯風会廃娼連盟/復刻版・1982・不二出版)』『田中時彦著『マリア・ルズ号事件――未締約国人に対する法権独立の一過程』(『日本政治裁判史録 明治・前』所収・1968・第一法規出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マリア・ルーズ号事件」の意味・わかりやすい解説

マリア・ルーズ号事件
マリア・ルーズごうじけん

明治初期のペルー船クーリー (苦力)解放事件。明治5 (1872) 年6月ペルー船『マリア・ルーズ』号が難破して横浜に寄港したが,船内にいた南アメリカで労務契約に従事するための奴隷として買われた清国人の苦力二百数十人のうち,1人が脱走してイギリス船に救助を求めた。イギリス代理公使 R.ワトソンから通告を受けた日本政府,外務省は,条約未締結国ペルーとの係争については日本に法権があると解し,外務卿副島種臣は神奈川県権令大江卓を裁判長に任じ,神奈川県庁に法廷を開設,アメリカ人の日本法律顧問 P.スミスらの協力を得て清国人船客の解放を宣言した。船長の報告でペルー政府は日本政府に抗議したが,ロシア皇帝アレクサンドル2世の仲裁裁判で日本側が勝訴した。

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