精選版 日本国語大辞典 「マルク」の意味・読み・例文・類語
マルク
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翻訳|Mark
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ドイツの旧通貨単位。1871年,ドイツ帝国の成立によってドイツの統一的な通貨・財政制度の前提が整った。ドイツは伝統的に州Landの力が強く,貨幣・銀行制度も州ごとにばらばらであったが,普仏戦争の勝利による賠償金を基礎に金本位制が実現された。71年10月,連邦参議院Bundesratは標準鋳貨として〈帝国金貨〉を承認し,その10分の1を帝国の新しい計算単位としてマルク(金マルク)と名づけた。同時に十進法による細分化,つまり1マルク=100ペニッヒPfennigも決められた。75年以降ライヒスバンクRheichsbankは金兌換(だかん)を行ったが,金本位制の完全実施は1909年の貨幣法以後である。ライヒスバンクによってドイツ帝国は,すでに高度の発展段階にあった他の諸国に比べて遅かったとはいえ,単一の発券銀行をもつことになった。1876年から95年の間には,市中銀行はまだライヒスバンクの振替決済機構に比肩する預金通貨制度をもたなかったため,市中銀行の信用の大部分は現金で決済された。市中銀行の預金は,ライヒスバンク振替決済機構による貨幣節約的な決済制度が完成して初めて,貨幣としての性格を備えたのである。
1914年第1次大戦が勃発すると,ライヒスバンクは金兌換を停止したため,〈紙幣マルク(紙マルク)〉の時代に入った。またライヒスバンクは〈金融総動員〉の標語のもとで戦時金融を遂行したが,インフレ的な貨幣流動量の膨張は避けられなかった。これに敗戦(1918)による賠償の重荷が加わり,ついに23年インフレは最高潮に達した。ちなみに1914-23年の9年間で,ドル相場ではかったマルクの価値はもとの平価に比べ1兆分の1に下落し,生計費指数は実に1.25兆に達した。抜本的な通貨改革の手がかりとなったのは,ドイツ・レンテン銀行Deutsche Rentenbankの設立と,農業用土地および工業用資産の負担によってカバーされた〈レンテンマルクRentenmark〉の発行である。このレンテンマルクの発行によって,〈レンテンマルクの奇跡〉といわれるほど貨幣価値が安定した。次いで24年ドーズ案によって賠償問題が解決されたのを機に,新たに金に基礎をおく〈ライヒスマルクRheichsmark〉が発行され,従前の紙幣マルクは1兆分の1で交換回収された。超インフレに続いて1930年代初頭の大恐慌がドイツを襲った。不況はきわめて深刻であり,資本逃避が相次ぎ,ドイツ経済は壊滅状態となった。32年景気が上方転換点に達した後,厳しい為替管理や輸出助成措置がドイツ経済を種々の外部ショックから保護した。しかし33年以降ナチス独裁による完全雇用の実現は,不安定な基盤の上で福祉が増進したにすぎず,再軍備の本格化がやがて第2次大戦へとつながっていった。
敗戦後,東西両ドイツに分割されたため,ほぼ同時的な通貨改革が不可避となった。その結果,西ドイツ発行のマルクを西ドイツ・マルク,東ドイツ発行のそれを東ドイツ・マルクと俗称してきた。西ドイツの通貨改革は48年6月実施された。新しい中央銀行レンダーバンクBank deutscher Länder(後にドイツ連邦銀行)が設立され,旧通貨ライヒスマルクと新通貨〈ドイツ・マルクDeutsche Mark〉の交換は一定額までは1対1,それ以上は10対1でするなど,細心の注意が払われた。その結果,貨幣および信用の供与はすでに通貨改革以前から徐々に進んでいた復興を加速するとともに,市場への財供給を恒常的に増加させることに成功した。通貨改革は西ドイツ経済の長期的発展の出発点であり,健全通貨ドイツ・マルクはドイツ経済の繁栄の象徴となった。50年代以降,国際収支は黒字を続け,61年,69年と2回平価が切り上げられドイツ・マルクは世界最強通貨の一つとなった。マルクの切上げは物価安定に貢献したが,他方で徐々にではあるが国際競争力を低下させたことも否定できない。70年代の2度にわたる石油危機は西ドイツ経済にも打撃を与えた。とくにECの共同フロート制移行後は,金融政策に過重負担がかかりやすい政策環境が続き,この負担軽減のためマルクは他のEC諸通貨に対してしばしば切り上げられた。ドイツ・マルクが欧州通貨統合の象徴であるヨーロッパ通貨制度(EMS。1979年3月発足)の中心通貨たりうるのは,中央銀行であるドイツ連邦銀行がつねに通貨価値の安定維持に努力しているからである。東ドイツにおいても1948年に中央銀行としてのドイツ発券・振替銀行Deutsche Emissions und Girobank(後にドイツ発券銀行Deutsche Notenbank)が設立され,西ドイツと同じような通貨改革が行われた。
1990年のドイツ統一にともない,西ドイツ・マルクが統一通貨となったが,その際に東西のマルクは1対1で交換され,実勢では東ドイツ・マルクの300~400%の切上げに相当したため,製造業を中心に多くの東側企業が整理に追い込まれた。
2002年1月からのヨーロッパ連合(EU)の単一通貨〈ユーロ〉導入に伴い,ドイツでは姿を消すこととなった。
執筆者:島野 卓爾
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[ドイツの超インフレ]
史上最も名高い第1次大戦後のドイツの超インフレの場合は,政府は戦後も戦時下に引き続き紙幣増発による赤字財政を踏襲していた。これに天文学的数字の賠償額が課せられたことから,マルク不安は決定的となり,1922年中にマルクの価値は1ドル162マルクから7000マルクまで暴落した。さらに23年には賠償の進状況を不満として,フランス,ベルギー両軍が工業の中心地であるルール地方を占領したため,生産活動は大打撃を受け,破局的なインフレが現出した。…
※「マルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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