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ミッテラン ミッテラン Mitterrand, François Maurice

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ミッテラン
ミッテラン
Mitterrand, François Maurice

[生]1916.10.26. シャラント,ジャルナク
[没]1996.1.8. パリ
フランスの政治家。パリ大学を卒業後,弁護士を開業。第2次世界大戦中対ドイツレジスタンス運動に参加。ドイツ軍に捕えられたが脱走。 1946年社会党下院議員。 47年 P.ラマディエ社会党内閣の退役軍人相。

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デジタル大辞泉の解説

ミッテラン(François Mitterrand)

[1916~1996]フランスの政治家。マンデス=フランス内閣の内相、社会党第一書記などを歴任したのち、大統領に就任。2期大統領を務めた。在任1981~1995。→シラク

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百科事典マイペディアの解説

ミッテラン

フランスの政治家。パリ大学法学部卒業後弁護士を開業。第2次大戦中は軍隊,対独レジスタンスに参加。1946年下院議員に当選。第四共和政下で内相,国務相など11回入閣。
→関連項目オランドシラク第五共和政フランスムルロア環礁ラ・ビレット

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世界大百科事典 第2版の解説

ミッテラン【François Maurice Marie Mitterrand】

1916‐96
フランスの政治家。シャラント県に駅長の子として生まれる。第2次世界大戦でドイツ軍の捕虜となるも脱走,のちレジスタンスに加わり,〈全国捕虜流刑者運動〉代表となる。大戦後1946年ニエーブル県選出の議員となり,民主社会主義抵抗同盟(UDSR)の指導者の一人として活動,47年初入閣以後たびたび閣僚を経験する。58年ド・ゴールの登場に反対の立場をとり,60年代にしだいに政界におけるド・ゴール体制反対の中心的存在となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ミッテラン
みってらん
Franois Mitterrand
(1916―1996)

フランスの政治家。10月26日フランス南西部シャラント県に駅長の子として生まれ、パリの政治学院に学ぶ。ジャーナリストとして出発し、第二次世界大戦当初ドイツ軍の捕虜となるが脱走して対独レジスタンスに参加。1945年に民主社会主義抗戦同盟(UDSR)の創立に参加し、翌1946年から下院議員(1946~1958、1962~1981)。第四共和政下でプレバン内閣の海外領土相(1950~1951)、マンデス・フランス内閣の内相(1954~1955)、モレ内閣の法相(1956~1957)をはじめ要職を歴任した。1958年以来のドゴール体制には終始反対し、1971年の新社会党結成に際して第一書記に就任。1972年には共産党との間に左翼共同綱領をまとめた。1965年と1974年の大統領選挙に左翼統一候補としてそれぞれドゴールとジスカール・デスタンに挑戦しともに僅少(きんしょう)差で敗れたが、1981年の大統領選挙では現職のジスカール・デスタンを破って万年負け犬の印象を一掃し、第五共和政下初の社会党出身大統領となった。就任後は死刑廃止、企業内の労働者の地位強化、年間有給休暇の5週間への延長、地方分権化、一部の産業の国有化など選挙公約の実現に努めたが、経済情勢は好転せず、1983年から緊縮策を余儀なくされた。1986年の総選挙での保守派の勝利とシラク政権誕生は、革新派大統領と保守派首相の「コアビタシオン(保革共存政権)」という新事態を招いた。回想録など著書多数。1995年まで2期14年間、大統領を務めた。[平瀬徹也]
『F・ミッテラン著、早良哲夫訳『いまフランスでは――ミッテランの社会主義』(1982・サイマル出版会) ▽F・ミッテラン著、川島太郎・佐藤昌訳『大統領への道』上下(1982・広済堂出版)』

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世界大百科事典内のミッテランの言及

【第五共和政】より

…以後ポンピドゥーが大統領としてド・ゴール体制を引き継いだが,74年急死し,独立共和派のジスカール・デスタンが大統領となった。さらに81年4月の大統領選挙では社会党のミッテランが当選,続く6月の議会選挙でも社会党が躍進して新政権を誕生させ,これに34年ぶりに共産党も入閣した。この政府の下で一部大企業の国有化や地方自治体議会の権限強化による分権政策,あるいは死刑廃止(1981年9月)などの改革が行われ,第五共和政は新たな転換期に入った。…

【フランス】より

…フランス政府が文化使節としてジョルジェ・デュアメルやピアニストのラザール・レビを送り,多くの聴衆を集めた。1953年に日仏文化協定が結ばれるとともに政府間の交流も親密になり,日本からは吉田茂(1954),岸信介(1959),池田勇人(1962),田中角栄(1973),三木武夫(1975),鈴木善幸(1982),竹下登(1988),宇野宗佑(1989)の各首相がフランスを公式訪問し,フランスからはポンピドゥー首相(1964),ジスカール・デスタン大統領(1979),ミッテラン大統領(1982,86,89)が日本を公式訪問した。フランスでも正規に日本語を教える高校が現れはじめ,84年には日本語が教授資格試験(アグレガシヨン)に認められた。…

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