ミルン(読み)みるん(その他表記)Alan Alexander Milne

精選版 日本国語大辞典 「ミルン」の意味・読み・例文・類語

ミルン

  1. [ 一 ] ( Alan Alexander Milne アラン=アレクサンダー━ ) イギリス劇作家ユーモアに富んだ通俗喜劇を書いた。また、童話「クマのプーさん」や推理小説「赤い館の秘密」の著者としても知られる。(一八八二‐一九五六
  2. [ 二 ] ( John Milne ジョン━ ) イギリスの地震学者。明治九年(一八七六)来日し、日本の地震学の発展に貢献。著に「地震とその他の地球の運動」など。(一八五〇‐一九一三

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミルン」の意味・わかりやすい解説

ミルン(Alan Alexander Milne)
みるん
Alan Alexander Milne
(1882―1956)

イギリスの作家。1月18日ロンドンに生まれ、同地およびケンブリッジで教育を受けた。1903年、数学で学士。大学卒業後フリーのジャーナリストとなったが、06年に風刺雑誌『パンチ』の副編集長となり14年まで在職。同年から18年まで軍務についてのち文筆生活に入る。児童向け作品を書く前から、推理小説『赤い館(やかた)の秘密』(1922)など、随筆、小説、戯曲を多数発表して成功していたが、息子クリストファー・ロビン・ミルンが生まれてから、『パンチ』時代に身につけた作詩の技を駆使してつくった童謡集『クリストファー・ロビンのうた』(1924)を発表し大好評を博した。続いて、童話集『クマのプーさん』(1926)、童謡集『クマのプーさんとぼく』(1927)、童話集『プー横丁にたった家』(1928)を書き、子供にも大人にも愛される児童文学作家として、不朽の名声を得た。56年1月31日没。

松野正子

『原昌・梅沢時子訳『ぼくたちは幸福だった――ミルン自伝』(1975・研究社出版)』『小田島雄志・小田島若子訳『クリストファー・ロビンのうた』(1978・晶文社)』『小田島雄志・小田島若子訳『クマのプーさんとぼく』(1979・晶文社)』『クリストファー・ミルン著、石井桃子訳『クマのプーさんと魔法の森』(1977・岩波書店)』


ミルン(Edward Arthur Milne)
みるん
Edward Arthur Milne
(1896―1950)

イギリスの天文学者。理論天体物理学でエディントンと並ぶ。ハルに生まれ、1914年ケンブリッジ大学に入学。第一次世界大戦時には大気に関する軍事研究に携わり、1919年大学に戻って特別研究員に選ばれ、翌年太陽物理観測所の所長補佐に抜擢(ばってき)される。1924年マンチェスター大学応用数学教授となり、1929年オックスフォード大学教授に転じる。初期には恒星大気における電離理論を研究し、その後恒星内部構造論を手がけ、とくに白色矮星(わいせい)の解析に関してエディントンと論争を展開した。1932年以降宇宙論に取り組み、相対論に基づく宇宙空間に対してニュートン運動学に基づく独自の膨張宇宙の模型を構想した。超新星現象の起因が恒星崩壊にあることを指摘した。

[島村福太郎]


ミルン(John Milne)
みるん
John Milne
(1850―1913)

イギリスの地震学者。リバプールに生まれる。ロンドンのキングズ・カレッジの応用科学部に学ぶ。1871年アイスランドを旅行。ロンドンの王立鉱山学校(1872)およびドイツ国ザクセンのフライベルク鉱山学校(1872)に学ぶ。1873年春および1874年春ニューファンドランドを探検し、その間の1873年12月~1874年2月にはシナイ半島を一周旅行している。1876年(明治9)来日。工学寮地質学・鉱山学を講じた。以後2~3年間に50以上の火山および北海道の鉱山の調査を行っている。とくに1880年2月22日の横浜の強震を機として地震研究に熱中し、日本地震学会を創立し、その主動者として地震学の発展に尽くした。研究は広範に及び、とくに地震計を考案し、日本および世界の地震カタログをつくった。1895年帰国後はワイト島のシャイドの自宅に観測所を設け研究を続けた。妻は、日本人の堀川利根(ほりかわとね)(1860―1925)。

[松澤武雄 2018年8月21日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ミルン」の意味・わかりやすい解説

ミルン
Alan Alexander Milne
生没年:1882-1956

イギリスの童話作家,劇作家,エッセイスト。ケンブリッジ大学を卒業後,《パンチ》誌の編集者となるが,劇作に入る。J.M.バリーの流れをくむ明るい喜劇ものを得意とした。《ワーゼル・フラマリー》(1917),《ピム氏のお通り》(1919),《蟇(ひきがえる)館の蟇》(1929)などが好評を博する。結婚して長男のクリストファー・ロビンが生まれると,彼を寝かしつけるためのおとぎ話を作る必要から,クリストファー・ロビンを主人公とした童話《ぼくたちが小さかったとき》(1924),《ぼくたちは6歳》(1927)などを書いた。そして,それが発展して熊のぬいぐるみを主人公にした《クマのプーさん》(1926),《プー横丁に建った家》(1928)が誕生する。プーさん,クリストファー・ロビン,ロバのイーヨー,子豚など,どれもあどけなく,たどたどしい感じが,E.H.シェパードのかわいい挿絵とともに童心によくかない,20世紀で最も成功した童話の一つとなった。そのほかに探偵小説《赤い館の秘密》(1922)がある。
執筆者:


ミルン
Edward Arthur Milne
生没年:1896-1950

イギリスの理論天体物理学者。ハルに生まれ,ケンブリッジ大学に学ぶ。マンチェスター大学を経て1929年よりオックスフォード大学の教授となる。初め星の大気構造,吸収線形成の理論,つづいて星の内部構造を研究し,これらの理論の初期の発達に大きく貢献した。ケンブリッジ大学のA.エディントンはしばしば協力あるいは互いによい論敵となった。たとえば星の吸収線に関するミルン=エディントンの大気モデルは,原子の線吸収係数と連続吸収係数との比が星の大気各層を通じて一定であることを特徴とし,吸収線の生ずる層を別に考えるシュスター=シュワルツシルトの大気モデルと対比される。内部構造論では,その微分方程式の原点において無限大となる解も物理学的意味を考慮すれば捨てるわけにはいかない(ミルン解,あるいはM解と呼ぶ)ことを力説するなど,独自の理論を展開したこともある。32年以後は宇宙論と取り組み,運動学的宇宙論という独特な膨張宇宙の理論を展開した。宇宙の一様性を唱える等価原理の概念は,ミルンが初めて提唱したものである。
執筆者:


ミルン
John Milne
生没年:1850-1913

イギリスの鉱山技師,地震学者。リバプールの生れ。ロンドン大学キングズ・カレッジと王立鉱山学校を卒業。1876年26歳のとき工部省工学寮の招請によって来日,工部大学校において地質学,鉱山学を講じた。80年2月22日の横浜強震が動機となって日本地震学会が発足することになったが,その第1回総会は同年4月26日に開かれ,副会長のミルンは〈日本における地震学〉と題して演説,研究の方向を示した。彼の研究は,地震計の製作,地震観測網の整備,地震予知,震災対策など地震学のきわめて広い範囲にわたっている。主著には《地震とその他の地球の運動》(1886),《地震学》(1898)がある。94年帰国したが,その後も自宅に地震観測所をつくり,イギリス科学協会の地震委員会幹事を務めるなどした。彼の妻は日本人堀川トネで,ミルンの死後郷里の北海道函館へ帰った。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「ミルン」の解説

ミルン

没年:1913.7.31(1913.7.31)
生年:1850.12.30
明治期に来日したお雇い外国人。イギリス人地震学者。リバプール生まれ。ロンドン大学キングス・カレッジを卒業後王立鉱山学校に学び,さらにドイツのフライベルク鉱山学校に遊学し,ヨーロッパ各地の地質・鉱山調査に参加。探検心の旺盛な鉱山技師であったため,工部省の招きに際しては,単身シベリア経由の陸路を経て半年近くかけて明治9(1876)年3月日本にきたが,その間一時音信不通となったこともある。工学寮(のち工部大学校)で採鉱学や冶金学を教え,同校が東大に併合後も雇い継がれて教師を勤め,28年6月に帰国した。 来日の日に東京で地震に遭ったことが機縁となって地震学の研究に没頭した。三原山や阿蘇山など各地の火山調査や濃尾大地震の現地調査などをし,大森房吉らを教えた。13年にはミルンの提唱によって日本地震学会が発会している。帰国後はテームズ河口のワイト島にシャイド地震観測所を設けて調査を続けた。主著に《Seismology》(1898)がある。滞日中,開拓使女学校出身の堀川トネと結婚したが,ミルン死没後,夫人は郷里の函館に帰って余生を送り,大正14(1925)年に死去した。<参考文献>ノット『明治日本を支えた英国人―地震学者ミルン伝』(宇佐美竜夫訳)

(三好信浩)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミルン」の意味・わかりやすい解説

ミルン
Milne, Alan Alexander

[生]1882.1.18. ロンドン
[没]1956.1.31. サセックス,ハートフィールド
イギリスの随筆家,詩人,劇作家。ケンブリッジ大学に学んだ。『パンチ』誌の記者となり,軽妙なエッセーを執筆。第1次世界大戦後は劇作に転じ,『ピム氏のお通り』 Mr. Pim Passes By (1919) ,『ブレーズの真実』 The Truth about Blayds (21) ,『ドーバー街道』 The Dover Road (22) などを発表した。童話作家としても知られ,『クマのプーさん』 Winnie-the-Pooh (26) のシリーズ,また童謡集に『幼かった頃』 When We Were Very Young (24) などがある。ほかに推理小説『赤い家の謎』 The Red House Mystery (22) ,自伝など。

ミルン
Milne, John

[生]1850.12.30. リバプール
[没]1913.7.30. ワイト島,シャイド
イギリスの地震学者,鉱山技師。王立鉱山学校で学び,1874年にはエジプト,アラビア探検に地質学者として参加。1876年陸路シベリア経由で来日,工学寮(工部大学校)で地質学と鉱山学を講義するかたわら,地震計を考案。1880年日本地震学会を創立。また日本全国にわたる 968の地震観測所設立に尽力するなど,日本における近代地震学の基礎を築いた。1894年帰国,イギリス学術振興協会の地震委員会書記として活躍。主著『地震学』Seismology(1898)。「ミルン水平振子地震計」は国の重要文化財に指定。

ミルン
Milne, William

[生]1785
[没]1822.5.27.
ロンドン伝道協会宣教師。中国名は米憐。宣教師として中国に派遣されたが,迫害のために中国を離れ,オランダ領東インドに行ってしばらく華僑伝道をした。その後マラッカに印刷所を設立し (1815) ,R.モリソンと共同で旧約聖書の中国訳を完成した (1819) 。またモリソンと共同してマラッカに英華学堂を設立し (1820) ,その校長をつとめた (1822) 。主著『両支相論』『郷訓五十二則』 (いずれも漢文) は江戸時代末期に日本に入り,キリスト教の教理を伝えた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ミルン」の解説

ミルン Milne, John

1850-1913 イギリスの鉱山学者,地震学者。
1850年12月30日生まれ。明治9年(1876)政府にまねかれ,シベリアを踏破して来日。工部大学校,後身の帝国大学工科大学で鉱山学,地質学をおしえた。13年日本地震学会の創設に尽力,観測機器,体制づくりを推進して日本の地震学の父とされる。人類学,考古学にも関心をもった。函館在住の堀川トネと結婚。28年帰国。1913年7月31日死去。62歳。リバプール出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「ミルン」の解説

ミルン
John Milne

1850.12.30~1913.7.31

イギリスの地質学者。リバプール生れ。王立鉱山学校卒。1876年(明治9)御雇外国人として来日。工部大学校で地質学と鉱山学を教えた。鉱物や火山を研究し,80年の横浜地震を契機として外国人学者による日本地震学会を設立し,副会長となった。地震学の研究に進み,地震学の父といわれた。地震計の製作,地震観測網の整備,地震予知・震災対策などの研究を提唱。95年帰国。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

百科事典マイペディア 「ミルン」の意味・わかりやすい解説

ミルン

英国の作家,ジャーナリスト。ケンブリッジ大学を卒業,《パンチ》誌の副主筆を務めた。ユーモアあふれる戯曲や,推理小説《赤い館の秘密》を発表。童話《クマのプーさん》《プー横丁にたった家》は有名。

ミルン

英国の鉱山技師,地震学者。ロンドンの王立鉱山学校を卒業。1876年来日し工部大学校等で地質・鉱物・鉱山学を講じ,また日本地震学会の創立(1880年)に努め,創立後は地震学の各分野に多くの論文を発表。1894年帰国し,自宅に自費で地震観測所をつくって研究を続けた。
→関連項目ユーイング

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「ミルン」の解説

ミルン
John Milne

1850〜1913
イギリスの鉱山技師・地震学者
1876年来日。工部大学校・東京大学で鉱山学・地質学を担当。また地震計を考案し,日本地震学会を創設した。'95年帰国。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のミルンの言及

【児童文学】より

…架空世界を取り扱った物語は,J.インジェローの《妖精モプサ》(1869),G.マクドナルドの《北風のうしろの国》(1871),R.キップリングの《ジャングル・ブック》(1894),E.ネズビットの《砂の妖精》(1902),K.グレアムの《たのしい川べ》(1908),J.M.バリーの《ピーター・パンとウェンディ(ピーター・パン)》(1911),W.デ・ラ・メアの《3びきのサル王子たち》(1910)にうけつがれ,ファージョンE.Farjeon《リンゴ畑のマーティン・ピピン》(1921)は空想と現実の美しい織物を織り上げた。さらにA.A.ミルンの《クマのプーさん》(1926)が新領域をひらき,J.R.R.トールキンの《ホビットの冒険》(1937),《指輪物語》(1954‐55)は妖精物語を大成する。C.S.ルイスが架空の国ナルニアの7部の物語(《ナルニア国ものがたり》1950‐56)で善悪の問題を取り扱い,トラバーズP.L.Traversの〈メリー(メアリー)・ポピンズ〉5部作(1934‐82)はユーモアをこめて新しい魔女をつくり出し,ノートンM.Nortonも人間から物を借りてくらす小人たちのミニアチュア世界を5部作(1952‐82)で描いてみせた。…

【宇宙】より

…現在一般に受け入れられている立場は,宇宙は一様かつ等方であって,その大局的な特徴は宇宙のどの場所で眺めても同じであるとするものである。この仮定は,イギリスのE.A.ミルンに従って宇宙原理と呼ばれている。この立場に立てば宇宙には中心とか端の区別はない。…

※「ミルン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android