メーヌ・ド・ビラン
めーぬどびらん
Maine de Biran
(1766―1824)
フランスの哲学者。ベルジュラックの生まれ。19世紀フランス形而上(けいじじょう)学の始祖。その多彩な政治家的経歴にもかかわらず、彼は繊細かつ内省的であり、その哲学はコンディヤックの流れをくみ、カバニス、デスチュット・ド・トラシ、アンペールらの観念学派に近い。
出発点として、内的な直接的知覚の不可疑的性格を置き、これによって、われわれの「われ」は、まったく自由な意志の、唯一にして分解できない形態において把握されると考える。この「われ」は、デカルトの「われ」が身体を捨象した「われ」であったのに対し、身体と精神との統一としての「意志」であり、意志し働くことが「われ」の根源的な存在証明であるとし、「われ思う、故にわれ在り」cogito ergo sumと唱えたデカルトに対して、「われ意志す、ゆえにわれあり」volo ergo sumと主張した。晩年は、生を動物的生、人間的生、霊的生(人間と神との合一)の3段階に分け、マルブランシュ的な神秘的形而上学を唱えた。著書に『思考能力に及ぼす習慣の影響』(1802)、『心理学の基礎』(1812)、『新人間論』(1823~1824)などがある。
[足立和浩 2015年6月17日]
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メーヌ・ド・ビラン
Maine de Biran
[生]1766.11.29. ベルジュラック
[没]1824.7.20. パリ
フランスの哲学者,政治家。本名 Marie François Pierre Gonthier de Biran。 1784年近衛士官となり,89年ルイ 16世をベルサイユで救った。 93年一時引退,数学と哲学を研究。 97年五百人議会に,続いて下院に選ばれるなど政治家として活躍。この間 1802年学士院の懸賞論文コンクールに『思考能力に及ぼす習慣の影響』をもって1等となり,カバニスやデステュット・ド・トラシーらの観念学者と交わり,05年には別のコンクールで『思考の分析覚え書』 Décomposition de la penséeで1等賞を得,学士院会員となった。彼の思想はウォロ・エルゴ・スムと表現されている。主著"Essai sur les fondements de la psychologie" (1812) ,"Nouveaux essais d'anthropologie" (23~24) 。
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「メーヌ・ド・ビラン」の意味・わかりやすい解説
メーヌ・ド・ビラン
フランスの哲学者。本名マリー・フランソア・ピエール・ゴンティエ・ド・ビラン。観念学(イデオロジスト)から出発しながら,精神の能動性・自発性を認めることによってその唯物論的傾向に反対し,〈我意志す,故に我あり〉と唱えた。のち,キリスト教的神秘主義に到達。著書《心理学基礎論》(1812年),《人間学新論》(1823年―1824年)など。
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