モロッコ事件(読み)モロッコじけん

デジタル大辞泉の解説

モロッコ‐じけん【モロッコ事件】

モロッコの支配をめぐって起こったフランスとドイツの2回にわたる紛争。第一次は1905年、フランスのモロッコ進出に反対するドイツが、軍隊をタンジールに上陸させた事件(タンジール事件)。第二次は1911年、アルヘシラスでの国際会議の結果に不満のドイツが、軍艦をアガディール港に入港させた事件(アガディール事件)。イギリスの仲介で、ドイツは、フランスからコンゴ北部を譲り受ける代わりに、モロッコから撤退した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

モロッコ事件【モロッコじけん】

モロッコの支配権をめぐる独仏間の紛争。1905年ドイツ皇帝ウィルヘルム2世は突然モロッコのタンジール港に上陸してフランスのモロッコ進出に反対を表明(第1次モロッコ事件。タンジール事件とも)。この結果アルヘシラス会議が開かれたがドイツは孤立。1911年ドイツは砲艦をモロッコのアガディール港に派遣して抗議(第2次モロッコ事件。アガディール事件とも)。いずれもフランスの外交的勝利に終わり,フランスのモロッコ保護権が確立。
→関連項目タンジールデルカッセビューローポアンカレモロッコ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

モロッコじけん【モロッコ事件】

20世紀初頭,モロッコ支配をめぐるヨーロッパ列強の帝国主義的対立が招いた紛争。モロッコはアフリカ大陸の地中海側の戦略的要衝地で,鉱物資源が豊富であったことから,19世紀を通してイギリス,フランス,スペインが進出し競合対立したが,1880年マドリード条約で権益の均衡が得られた。99年ファショダ事件後,イギリス,フランスの相互譲歩によりモロッコはフランスの勢力範囲とされ,1901年フランス・イタリア協定でもこれを確認した。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

モロッコじけん【モロッコ事件】

モロッコ支配をめぐり生じた二回(1905年と11年)にわたる外交危機。支配強化を進めるフランスに対してドイツが干渉。軍事衝突の危機を招いたが、イギリスのフランス支持により回避され、フランスの支配が確立した。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

モロッコ事件
もろっこじけん

第一次世界大戦前、モロッコをめぐってフランスとドイツの間に起きた二度にわたる国際紛争。20世紀に入ってモロッコにおけるフランスの影響力が強まり、イギリス・フランス協商(1904)でイギリスはモロッコがフランスの勢力圏に入ることを認めたが、ドイツはこれに異議を唱え、1905年ウィルヘルム2世がモロッコのタンジール港を訪れ、フランスによる保護国化を否認した(第一次モロッコ事件またはタンジール事件)。これをドイツのイギリス・フランス協商に対する攻撃と受け取ったイギリスはフランスを強く支持し、独仏関係は緊張した。その後、独仏両国のモロッコへの資本進出が目覚ましかったが、1911年首都フェズに起こった反乱鎮圧を口実にフランスは出兵。これにドイツが抗議し、同年砲艦をアガディール港に派遣すると(第二次モロッコ事件またはアガディール事件)、フランスの世論は激高し、戦争の危機が叫ばれた。イギリスはふたたびフランスを支持して強硬な態度をとったので、英仏関係を弱めようとするドイツの外交上の試みは二度とも失敗に終わり、以後ドイツは国際的孤立を深めながら第一次世界大戦に突入した。[木谷 勤]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

熱射病

高温多湿下の労働時に外界への熱放散が困難なために発病する疾患をいい、現在では日射病とともに高温障害の一病型とされている。[重田定義][参照項目] | 高温障害...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

モロッコ事件の関連情報