デジタル大辞泉
「ヨハネ騎士団」の意味・読み・例文・類語
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ヨハネ騎士団 (ヨハネきしだん)
Ordo Equitum Sancti Johannis[ラテン]
西欧中世の三大騎士団の一つ。正式名は〈エルサレム・聖ヨハネ救護騎士修道会〉。11世紀末南フランス出身の修道士ジェラールGérardが聖地巡礼用救護所として創設し,1113年教皇パスカリス2世の教書で公式に認可された。アウグスティヌス会会則に従い,テンプル騎士団と功績を競いながら十字軍戦士として中近東各地で戦うと同時に,傷病者の看護や貧しい巡礼の救援にあたった。イスラムの医療制度を導入して西欧各地に病院を設立し,癩者の収容施設もつくった。聖地失陥(1291)以後キプロス島に撤退して十字軍再興をはかり,ロードス島に本拠を移した(1309)が,オスマン・トルコ軍に追われ1530年以降マルタ島に移り〈マルタ騎士団〉と改称した。
執筆者:橋口 倫介
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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「ヨハネ騎士団」の意味・わかりやすい解説
ヨハネ騎士団【ヨハネきしだん】
中世の騎士修道会の一つ。正称は〈エルサレム・聖ヨハネ救護騎士修道会〉,ラテン語でOrdo Equitum Sancti Johannis。南仏出身の修道士ジェラールが11世紀末に創設,1113年教皇認可。テンプル騎士団とともに十字軍の主力となる一方,各地に病院を設立した。エルサレム陥落(1291年)後,本拠をキプロス島,さらにロードス島に移したが,イスラム勢に押され,1530年以降はマルタ島に拠ってマルタ騎士団と称した。
→関連項目騎士修道会|十字軍|マルタ|ロードス[島]
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ヨハネ騎士団
ヨハネきしだん
Johanniterorden
第1次十字軍時代に修道僧ゲラルトによって創立された宗教騎士団。傷病者治療を目的としたため,病院騎士団とも呼ばれる
1113年ローマ教皇により公認。白十字をつけた黒色外套を着用。異教徒に対抗するキリスト教徒の前衛として活動。本部は1187年までイェルサレムに,1291年キプロス島,1310年ロードス島,1530年マルタ島に移転。その結果,マルタ騎士団ともいう。レパントの海戦の勝利に貢献した。19世紀から本部をローマに移す。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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ヨハネ騎士団
中世ヨーロッパで組織された宗教騎士団のひとつ。11世紀末に南フランス出身の修道士ジェラールが聖地巡礼者の救護を目的に創設。「聖ヨハネ騎士団」とも。
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世界大百科事典(旧版)内のヨハネ騎士団の言及
【もてなし】より
…教会の,世俗の,また半世俗の各種団体が任意に組織され,行倒れの看護,死者の埋葬を無償で行った。もともとは聖地巡礼者や十字軍戦士から出る病人救済のためにエルサレムに組織された[ヨハネ騎士団]は,のちロードスを経てマルタに本拠を移し,全欧に所領をもつマルタ騎士団に変貌する。 今日なお農村部では好意ある個人が異国からの旅人を無償でもてなすことがあり,身元不明の困窮者,病人,行倒れは,慈善団体,教会,公共自治体もしくは国家が世話をすることになっている。…
※「ヨハネ騎士団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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