コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ラーダークリシュナン Sarvapalli Rādhākrishnan

4件 の用語解説(ラーダークリシュナンの意味・用語解説を検索)

大辞林 第三版の解説

ラーダークリシュナン【Sarvapalli Rādhākrishnan】

1888~1975) インドの哲学者・政治家。1962~67年大統領を務める。東西思想の共通性を示し、インド哲学を広く紹介した。著「インド哲学史」など。

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

百科事典マイペディアの解説

ラーダークリシュナン

インドの哲学者,政治家。南インドのティルッタニ生れ。若いころビベーカーナンダの思想から影響を受け,以来ベーダーンタ哲学ベーダーンタ学派)を研究した。1918年−1921年マドラスのプレジデンシー・カレッジ,のちカルカッタ大学で哲学教授を,またアーンドラ大学,ベナレスヒンドゥー大学で副学長を歴任。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ラーダークリシュナン【Sarvepalli Rādhākrishnan】

1888‐1975
インドの哲学者,政治家。南インド,現アーンドラ・プラデーシュのティルッタニに生まれる。マドラスのプレジデンシー・カレッジ(1918‐21)およびカルカッタ大学(1921‐31,37‐41)の哲学教授,アーンドラ大学(1931‐36)およびベナレス・ヒンドゥー大学(1939‐48)の副学長,オックスフォード大学の〈東洋の宗教および倫理学〉教授(1936‐52)などを歴任。1946‐52年にはユネスコのインド代表団長,48‐49年にはユネスコ執行委員会の議長を務めた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ラーダークリシュナン
らーだーくりしゅなん
Sarvepalli Radhakrishnan
(1888―1975)

インドの政治家、哲学者。南インドで生まれ、マドラス・キリスト教大学を卒業後渡英、オックスフォード大学で学位を取得した。マドラス(現チェンナイ)にあるプレジデンシー・カレッジ、カルカッタ大学の哲学教授、ベナレス・ヒンドゥー大学の学長(1939~1948)を歴任し、オックスフォード大学教授(1936~1952)にも迎えられた。インド独立後、駐ソ連大使(1949~1952)、副大統領(1952~1962)を務め、1962年には大統領(~1967)に選出された。著作は多く、代表的なものに『インド哲学』2巻(1922~1926)、『ヒンドゥー教的人生観』(1927)、『理想主義的人生観』(1929)、『東洋の諸宗教と西洋思想』(1939)、『バガバッド・ギーター』(1946)、『主要なウパニシャッド』(1953)、『ブラフマ・スートラ』(1960)などがあり、インド政府発行の『東西哲学史』(1952~1953)の総監修者でもあった。比較思想的観点からインド思想の究明に努め、『インド哲学』では、西洋哲学と比較しながらインド哲学を全体にわたって概観し、インド哲学の普遍性を明らかにした。また、『東洋の諸宗教と西洋思想』では、ヒンドゥー教の側から、東西比較思想の基盤を提供した。その哲学的立場はシャンカラ系のベーダーンタ哲学不二一元(ふにいちげん)論にあり、彼は、不二一元論のマーヤー概念に新たな解釈を施して、ベーダーンタ哲学の現代的再生を目ざした。また、主観と客観の対立を超えた神秘的直観の重要性も説いた。[島 岩]
『ラーダークリシュナン著、三枝充悳他訳『インド仏教思想史』新装版(2001・大蔵出版)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

ラーダークリシュナンの関連キーワード黒人問題三東ルシア採石業EA-71世界女性会議ウィルヘルム朝鮮映画木村伊兵衛写真賞井上純一伊藤咲子

今日のキーワード

稀勢の里寛

1986- 平成時代の力士。昭和61年7月3日生まれ。中学卒で鳴戸部屋に入門し,平成14年3月初土俵。16年5月新十両,同年11月には18歳4ヵ月で新入幕をはたす。18年7月新三役小結,21年3月新関...

続きを読む

コトバンク for iPhone