ドイツの航空先駆者。幼時から鳥の飛行に興味をもち,成人してから弟グスタフGustavとともに回転腕により翼型の基礎研究を行って,その結果を1889年に《航空術の基礎としての鳥の飛行》として出版した。彼はそのころベルリンのリヒターフェルデの小鉄工所主で,みずからグライダーを飛ばしたのは91年から没年96年までの約5年間である。彼はその間に10種以上のグライダーを製作し,総計約2000回の滑空飛行を行った。彼の目的はスポーツ的なもので,その販売,あるいは実用まで考えなかった。滑空距離を延ばすため,炭酸ガスボンベからの圧力でシリンダーとピストンを作動させ,羽ばたき飛行をする計画を立てていたが,グライダーで墜死した。
執筆者:佐貫 亦男
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…この迷いから脱して,揚力は固定した翼により,また推進力はプロペラにより,それぞれ別々に発生させるようにしたことが成功の鍵であった。ドイツのO.リリエンタールは,1891年固定翼つきのグライダーで滑空実験を開始し,各国の研究者がこれに続いた。この未開の分野の開拓のため,リリエンタールをはじめ,多くの人が墜落して命を失った。…
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[歴史と傾向]
航空機の事故によって人が死亡した世界最初の例は,1785年6月15日にフランスのピラートル・ド・ロジエPilâtre de Rozierらが気球によるイギリス海峡横断を企てた際,空中爆発を起こして墜落した事故といわれている。空気より重い航空機では,1896年8月9日にドイツのベルリン近郊においてグライダーで飛行中墜落したO.リリエンタールの事件(重傷,翌日死亡)で,また,飛行機事故としては,1908年9月17日にアメリカ陸軍フォート・マイヤー基地で発生したライト・フライヤー型機の墜落(操縦のO.ライト負傷,同乗のT.セルフリッジ中尉死亡)が最初であった。ちなみに日本最初の死亡事故は,13年3月28日に所沢で発生した陸軍ブレリオ機の空中分解による墜落事故である(木村鈴四郎,徳田金二両中尉が死亡)。…
※「リリエンタール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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