日本に来航した最初のオランダ船。ロッテルダムの東方貿易会社が1598年東洋貿易に派遣した5隻中の1隻で、300トンの木造帆船。マゼラン海峡を経て太平洋横断中に遭難し、1600年(慶長5)豊後(ぶんご)国(大分県)佐志生(さしう)に漂着した。船長クアッケルナック、航海長ウィリアム・アダムズ(のち三浦按針(みうらあんじん))、船員ヤン・ヨーステンらは徳川家康に優遇された。同船は関東へ回航途中暴風雨で大破し浦賀で破棄されたが、同船の来航は日蘭(にちらん)、日英の通交開始の機縁となった。なお、同船の船尾についていた人文学者エラスムスの木像は船体破棄後も保存され、貨狄(かてき)様といわれ、下野(しもつけ)国(栃木県)佐野の竜江院に伝存し、国の重要文化財に指定されている。
[沼田 哲]
『岡田章雄著『三浦按針』(1948・創元社)』
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1600年(慶長5)豊後国の海岸に漂着したオランダ船。3檣,300トンのガレオン船。1598年オランダが東方貿易開拓のため派遣した6隻の船団中の1隻で,途中悪天候などで船団は離散した。乗組員110人のうち生存者は20人余にすぎず,そのなかのイギリス人航海士アダムズ(三浦按針(あんじん))は徳川家康に認められて外交顧問となり,朱印船貿易にも活躍。リーフデ号は豊後から大坂に回航されたのち,関東に向けて航海した際に沈没。栃木県佐野市の竜江(りゅうこう)院に貨狄(かてき)像として祭られていた木造のエラスムス像(重文)は,本船の元の名がエラスムス号だったための船尾像とされている。
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…イギリスのジリンガムに生まれ,ライムハウス造船所に12年間勤めた後,イギリス海軍に船長として勤務。1598年オランダのロッテルダム会社の東洋派遣艦隊の一隻リーフデ号の航海士となり,1600年(慶長5)豊後の佐志生に漂着。大坂で家康に謁見し,来日の事情を説明,イギリスが日本と貿易を開きたい希望を持っていることを伝えた。…
…ネーデルラント楽派【植田 義子】
【日本との関係】
日本とオランダの関係は他のヨーロッパ諸国に比べて深く長い。1598年6月西回りでアジアに向けてオランダを出航した5隻のオランダ船隊のうちの1隻リーフデ号が1600年4月19日(慶長5年3月16日)豊後の海岸に漂着した。110人の乗組員のうち生き残った者わずかに24名で,その中には首席航海士ウィリアム・アダムズ(イギリス人),ヤン・ヨーステンらがいた。…
…江戸時代平戸および長崎にあったオランダ東インド会社の日本支店。1600年(慶長5)オランダ船リーフデ号が豊後に漂着したが,09年オランダとの国交が開かれたとき商館が平戸に置かれた。40年(寛永17)幕府は商館の建物の破風に西暦年号が記されていることを口実に,その取壊しを命じ,翌年ポルトガル人の来航禁止で空家となった長崎出島への移転を命じた。…
…関ヶ原の戦には東軍に加わり,本領を維持する。父の跡をうけて,外国貿易により領内を豊かにしようとつとめ,リーフデ号で漂着したオランダ人の帰国の船を用意し,1609年平戸にオランダ商館の誘致に成功した。13年,イギリス人も平戸に商館をおき,鎮信(法印)の時代に,平戸は外国貿易の中心地として繁栄する基礎が築かれた。…
…オランダの貿易家。1600年(慶長5)オランダ船リーフデ号で,豊後佐志生に漂着した。同船の航海士W.アダムズ(三浦按針)と同様,徳川家康から江戸に住宅を与えられた。…
※「リーフデ号」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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