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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツの東洋学者、探検家。ベルリンの民族学博物館館長を務め、在任中に没した。初めシリアの調査探検に参加したが、その後、1902年にグリュンウェーデルの第1回のトゥルファン探検に加わり、4~5年の第2回、5~7年の第3回、13~14年の第4回の探検には、自ら隊長となってトゥルファン、クチャ地方の調査を行っている。高昌(こうしょう)国のカラ・ホージョの徹底的な調査を試みているほか、ショルチュック遺跡、キジル千仏洞などの調査を行った。多数の壁画、彫刻、写本類を持ち帰っているが、なかでもマニ教関係の経典、絵画は著名である。著作『マニハイカ』『高昌』『シナ‐トルキスタンの埋もれた財宝』などがある。
[飯島武次]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1860~1930
ドイツの東洋学者。1902~13年,グリュンヴェーデルが組織した4次の中央アジア探検隊の一員(第4次は隊長)としてトゥルファン,クチャなどの古代仏教遺跡を調査。文書,壁画,仏像などをベルリンに運んで展示,報告書を出版した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…窟数236(1973現在)。1906年(グリュンウェーデル)と14年(ル・コック)のドイツ隊の調査で注目され,07年にはペリオが,28年には黄文弼が調査した。53,73年には北京大学を中心とする本格的な調査が行われた。…
…北方を境する火焰山の一峡谷中にあり,カラ・ホージョ東方に位置する。1898年D.A.クレメンツ,1907年A.グリューンウェーデル,16年M.A.スタインが調査し,A.vonル・コックや大谷探検隊も調査したが,一部が知られるにすぎない。石窟ばかりでなく,断崖の空地を利用して,泥煉瓦による寺院も構築された。…
※「ルコック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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