レオポルト2世(読み)レオポルトにせい(英語表記)Leopold II

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レオポルト2世」の意味・わかりやすい解説

レオポルト2世
レオポルトにせい
Leopold II

[生]1747.5.5. ウィーン
[没]1792.3.1. ウィーン
神聖ローマ皇帝 (在位 1790~92) 。ハプスブルク家の出身。マリア・テレジアの第3子で皇帝ヨーゼフ2世の弟。 18世紀啓蒙君主の一人で,イタリアの進歩的法学者 C.ベッカリーアとも交わり,その政治思想は兄ヨーゼフ2世よりも一層立憲主義的であった。 1765~90年トスカナ大公。 90年兄ヨーゼフ2世が嗣子のないまま没したため帝位についた。当時すでにフランス革命が勃発しており,ヨーロッパ政局は多事多端であった。そこでレオポルトは,トルコ和平を結び (91) ,革命の余波を防止するためプロシア防御同盟を結んだ (92) 。その対外政策の基本はオーストリアの保全にあり,内政面でも領内異民族の融和に努め,動乱期にありながらハプスブルク帝国を安泰に保った。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「レオポルト2世」の解説

レオポルト2世(レオポルトにせい)
Leopold Ⅱ.

1747~92(在位1790~92)

ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝。マリア・テレジア三男(次兄死去)。1765年トスカーナ大公となり,最先端の啓蒙君主として国の立憲化を準備。90年兄ヨーゼフ2世のあとを受けて皇帝となったが,改革よりもフランス革命への対応に追われ,91年プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム2世とともにピルニッツ宣言を発してフランス側の反発を買った。翌年急死。

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367日誕生日大事典 「レオポルト2世」の解説

レオポルト2世

生年月日:1747年5月5日
神聖ローマ皇帝(在位1790〜92)
1792年没

レオポルト2世

生年月日:1797年10月3日
最後のトスカナ大公
1870年没

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