ビザンティン帝国(東ローマ帝国)ユスティニアヌス1世(在位527-565)が制定発布した〈法学提要〉〈学説彙纂〉〈勅法彙纂〉および〈新勅法〉に対する総称で,ユスティニアヌス法典とよばれローマの法律および法学説が集大成されている。ビザンティン帝国における法学の復活を背景とする法学教育および裁判実務の要請に対応し,同時にローマ帝国の栄光の再興というユスティニアヌス1世自身の政治的文化的企図から,まず528年,彼は高級官僚(トリボニアヌスを含む)および若干の法学者によって構成される10名の委員会に命じて勅法の集成を行わせ,翌年完成・発布された。これは〈旧勅法彙纂〉と一般に呼ばれ,改訂されるまでの数年間効力を有したが,その内容はほとんど伝わっていない。次いで,530年にトリボニアヌスを長としテオフィルス,ドロテウスなど4名の法学校教授を含む17名の委員会に法学説の集成である〈学説彙纂〉50巻を作成させ,法学入門書である〈法学提要〉4巻とあわせて533年公布した。さらに,ユスティニアヌス1世は,トリボニアヌスを長とし,ドロテウスを含む5名の委員会に,〈学説彙纂〉編集中に法学上の論争を解決するために必要として発布された多数の勅法などを組み込むため,再度勅法を集成させ,改訂〈勅法彙纂〉12巻(ハドリアヌス帝以来の勅法を事項ごとに巻章に分け,それぞれ年代順に配列)として翌534年発布した。それぞれの委員会には,編集に際し,時代の変化に応じ勅法あるいは学説を加除修正し法文の矛盾を除去することが命ぜられ(これにより加えられた修正は〈トリボニアヌスの修正〉と呼ばれる),ユスティニアヌス1世は一体として矛盾のない法典であることを誇り,以後忠実な訳,要約,法文総合対比などは除きいっさいの解釈を刑罰をもって禁じた。実際には多数の矛盾を含み,法典を実務において現行の法として適用するところではつねにその矛盾の調和に苦しんだが,今日では,それは古典法研究の重要な手がかりとされている。
ユスティニアヌス1世はその治政中なお多数の勅法を発布(その大部分はギリシア語)し,それらが後に私撰によりまとめられたもの(現在3種類が伝えられ,一般には168の勅法を含むものが用いられる)を〈新勅法〉と呼び前3者と一体としてその効力を有するものとされた。ローマ法大全は中世以来ヨーロッパにおいて法学研究の最も重要な素材として取り扱われ,これを通じてローマ法は近代の法に多大の影響を与えている。
→ローマ法
執筆者:西村 重雄
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東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が命じて編纂(へんさん)させた一大法典。『勅法集』Codex Iustinianus、『学説集』Digesta(またはPandectae)、『法学提要』Institutionesおよび『新勅法』Novellaeを総称するが、この四者をまとめてこのように称することはユスティニアヌスが定めたことではなく、1583年にゴトフレドゥスがこれら4種を刊行したときに初めてつけられた名称で、『教会法大全』corpus iuris canoniciと対示された。『勅法集』は534年の公布(ユスティニアヌス法典)。『学説集』は530年の勅法で編纂を命ぜられ、533年12月16日の勅法で公布された。『法学提要』は533年11月21日の勅法によって公布された初学者のための教科書である。また『新勅法』は535年からユスティニアヌスの死までの勅法百数十を収録するが、大部分ギリシア語で記されたこれらの勅法は私撰(しせん)のものが今日に伝えられている。
これらのうちもっとも膨大なものが『学説集』で、50巻に分かれ、30、31、32巻を除いて各巻は章に分かれ、各章に法学者らの著書から抜粋した法文が並べられる。法文総数は9142、もっとも多く引用されたウルピアヌスの法文は全巻の約3分の1を占め、次にパウルスのものが約6分の1を占める。このほかスカエウォラ、ポンポニウス、ユリアヌス、マルキアヌス、ヤウォレヌス、アフリカヌスおよびマルケルスの7人から採用されたものが合計2470で、全体の約4分の1以上を占める。
これらはいずれも当時の現行法として編纂されたものであるが、ローマ法律文化の記念塔としても歴史の史料としても不滅の価値がある。
[弓削 達]
『船田享二著『ローマ法』第一巻(1968・岩波書店)』▽『E・マイヤー著、鈴木一州訳『ローマ人の国家と国家思想』(1978・岩波書店)』
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ユスティニアヌス1世の命で編纂されたローマ法の大法典。529年完成の『ユスティニアヌス法典』,533年完成の『ローマ法学説類集』と『法学提要』,543年完成の『改訂ユスティニアヌス法典』は,いずれもラテン語で書かれ,ユスティニアヌス1世の死までの勅法を集めた『新勅法』はギリシア語で書かれた。これらを総称して「ローマ法大全」と呼ばれるようになったのは12世紀の西ヨーロッパで,ローマ法研究が復活した以後のことである。
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…古くは後期注釈学派といわれ,最近は助言学派とも呼ばれる。〈注解commentaria〉がその主要な著作形式であるが,ローマ法大全の配列順序を追いながらもすでに法文の重点的な取扱いをしており,〈注釈glossae〉ほどテキストに密着せず,文言そのものよりも法命題の解説に主眼をおいている。また裁判官(ときには私人)の要請にこたえて与える実際の法律事件に関する〈助言consilia〉にたいへん力を入れた。…
…11世紀末ないし12世紀初頭,北イタリアのボローニャでローマ法大全の全体,なかでもその最も浩瀚かつ重要な部分である〈学説彙纂〉が学問的に再発見されることになった(いわゆる〈ローマ法(学)の復活〉)が,ここに成立したローマ法の研究・教育の学派が注釈学派(ボローニャ学派ともいう)である。彼らにとってローマ法大全は神意の発現たる法真理そのものの表示(〈書かれた理性〉)として権威的なテキストであり,その配列順に法文に分析的釈義(〈注釈glossae〉)を施していくことが中心課題となった。…
…彼らは大学で学んだローマ・カノン法を実務でも適用するにいたるのであるが,その際よりどころとなったのが普通法の理論である。これはイタリアのとりわけ注解学派によって基礎づけられたもので,《ローマ法大全》は書かれた理性ratio scriptaとして〈すべての人々に共通の〉法,普通法であり,局地的な制定法規や慣習法によって解決が与えられていない法律問題が現れる場合には,いつでも補充的に通用力を要求しうるという独特の法源理論である。この普通法の内容は法学によって,すなわち《ローマ法大全》の解釈活動を通じて絶えず発展させられていき,また適用にあたって疑問があるときは〈博士たちの共通意見〉,つまり学者たちの通説(たいていフランス人かイタリア人の著名な著作者のうち多数がとる見解)によるという規則が妥当した。…
※「ローマ法大全」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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