太閤(たいこう)検地以後における土地・農民支配の原則。太閤検地施行以前の荘園(しょうえん)体制のもとにあって、土地所有・保有関係は一つの耕地に、荘園領主―名主(みょうしゅ)―作人―下作人など、各階層の収取権利が重なり合っていた。太閤検地は、この重層的な収取関係を「作合(さくあい)」(=中間搾取)否定政策を通じて排除した。たとえば、1587年(天正15)豊臣(とよとみ)秀吉の奉行(ぶぎょう)浅野長政(ながまさ)が若狭(わかさ)国(福井県南西部)に公布した法令には次のように記されている。
一、おとな百姓として下作に申つけ、作あいを取り候儀無用ニ候、今まて作り仕(つかまつ)り候百姓直納仕るへき事
一、地下(じげ)之おとな百姓、又は荘官なとに一時も平之百姓つかわれましき事
この方針により、検地帳に書載された一筆ごとの耕地に現実の耕作者1名を登録し、彼に耕作権を保障して年貢負担の義務を負わせ、これまで名主やおとな百姓などが収取していた「作合」を排除した。これを一地一作人の原則という。
この結果、これまで長百姓(おとなびゃくしょう)に隷属していた零細な直接耕作者農民も年貢を負担する一人前の百姓とする小農民自立政策が推し進められ、領主と農民は耕地を媒介として単一の支配・隷属関係をもつようになった。
[北島万次]
『安良城盛昭著『幕藩体制社会の成立と構造』(1959・御茶の水書房)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
近世,田畑などの土地一筆ごとに所持・耕作者をただ1人に確定すること。太閤検地によって体制化され,江戸時代以降の土地の権利関係の基本となった。戦国期までは,領主と耕作農民との間に,重層的な職の秩序によってさまざまな権利者がいたが,太閤検地はこれを否定,石高による生産高の決定とともに田畑一筆ごとに1人の百姓を名請人として確定し,検地帳に記載した。この名請人が年貢・諸役を領主に対して負担することになる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…屋敷地を検地の対象とすることは太閤検地の特色の一つであるが,最も私有性の強固な屋敷地は,戦国大名は手を出すことができなかった。
[一地一作人と作合否定]
検地は田畑の1筆ごとに竿入れして面積を測り,石盛をつけるが,その田畑を実際に耕作している百姓の名を検地帳に記載した。これによって百姓の耕作権は保証されるが,年貢納入の義務が負わされ,耕作を放棄して商工業者などに転ずることは許されなかった。…
※「一地一作人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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