デジタル大辞泉
「一念三千」の意味・読み・例文・類語
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いちねん‐さんぜん【一念三千】
- 〘 名詞 〙 仏語。人の平常持ち合わせている心に、三千という数に表現された全宇宙の事象が備わっているとする天台宗の基本的な教義。
- [初出の実例]「一念三千の法門なんどを、胸中に学し入て持たるを、道心と云也」(出典:正法眼蔵随聞記(1235‐38)三)
- [その他の文献]〔止観弘決‐五・三〕
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一念三千 (いちねんさんぜん)
人間の日常の一瞬一瞬のかすかな心の動きに,三千の数で現された宇宙のいっさいのすがたが完全にそなわっているということ。天台宗の基本的な教説の一つ。智顗(ちぎ)の《摩訶止観(まかしかん)》五ノ上に〈此の三千は一念の心に在り,若(も)し心無くば已(や)みなん,介爾(けに)も心あらば即ち三千を具す〉とあるにもとづく。三千の数は,迷悟の十界が互いにそなわり合って百界となり,そのそれぞれが実相の十種(十如是)をそなえて千となり,さらにそれが衆生,国土,五陰の三世間にわたっているから三千となり,この三千で宇宙のいっさいの現象(諸法)を表現する。この三千が自己の心にそのままそなわっていると体得するのが,天台の止観の極致とされた。中国天台宗では宋代以来,一念の真・妄をめぐって争論があり,山家派はこれを陰妄の一念とし,山外派はこれを霊知の真念とした。日本天台宗では,山外派に同ずるものが多く,真念説が有力である。
執筆者:薗田 香融
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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一念三千
いちねんさんぜん
仏教用語。われわれが生きるこの現象世界(諸法)の真実の姿(実相(じっそう))を示すべく、天台大師智顗(ちぎ)によって説かれた教説である。現象する世界の諸相を三千の数に整理して表し、そしてそうしたものからなるこの世界が人間のそのときどきの心(一念)と変わるものでないこと、すなわち、すべては自己完結的にそれ自身であり続けえず、不二相即の関係にたつことを教えたものである。ときにこの教えは心に一切法(いっさいほう)が具足されていることを教えるだけの教説と解される向きがあるが、それでは智顗の本意を正確に伝えることはできない。
[新田雅章]
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一念三千
いちねんさんぜん
天台宗の教理。迷いの生活のなかにある人間が起すほんのわずかの迷いのなかにも,宇宙のあらゆる姿がそなわっているとすること。天台宗ではこの理を瞑想によって体験的に体得することを目指す。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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一念三千【いちねんさんぜん】
仏教用語。人間の日常的な心の動きの中に三千の数に表現される現象が,実在として備わっていること。天台観法の極致とされる。
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