丁銀(読み)チョウギン

デジタル大辞泉 「丁銀」の意味・読み・例文・類語

ちょう‐ぎん〔チヤウ‐〕【丁銀/×梃銀】

江戸時代銀貨の一。海鼠なまこ形で、豆板銀とともに、計量して使用された。「常是」「宝」の字および大黒像の極印ごくいんがある。銀丁

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精選版 日本国語大辞典 「丁銀」の意味・読み・例文・類語

ちょう‐ぎんチャウ‥【丁銀・挺銀】

  1. 〘 名詞 〙 江戸時代通用の銀貨の一つ。なまこ形、不定量のもので豆板銀とともに秤量して使われた。表面に大黒像、「常是」「寳」の字の極印が打たれているほか、発行年次をあらわす極印が打たれているものもある。慶長・元祿・宝永・宝永永字・宝永三宝・宝永四宝・正徳・元文・文政・天保・安政の一一種がある。
    1. [初出の実例]「祠堂の丁銀(チャウギン)はしなせぶりのまいらせものとなす」(出典:京童(1658)一)

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改訂新版 世界大百科事典 「丁銀」の意味・わかりやすい解説

丁銀 (ちょうぎん)

江戸時代の銀貨の中心をなすもので,形状ナマコ海鼠)形の銀塊,量目は43匁(1匁=3.75g)内外であった。金貨大判小判,二分金,一分金,二朱金,一朱金が額面の明示されている定位貨幣であったのに対して,銀貨の丁銀,豆板銀(小粒銀)は使用のつどその量目を調べなければならない秤量貨幣であった。豆板銀は1個1~10匁くらいで丁銀の補助的役割を果たした小額銀貨であった。丁銀は室町時代後期から造られ,鋳造者である富商や両替商の極印によって流通した。これは古丁銀と呼ばれ,切り遣いの慣行が見られた。江戸時代に入って,幕府は1601年(慶長6)慶長丁銀を鋳造した。その際,徳川家康は摂津平野庄町の豪商末吉勘兵衛を伏見に招いて,銀座設立の建議に対して許可を与え,鋳造が開始された。このとき堺の南鐐座の湯浅作兵衛常是(のちに大黒と改姓)が家康から銀吹役,銀改役の特権を与えられた。この丁銀の鋳造は伏見銀座で行われたが,のちに京都銀座に移され,その後駿府銀座,江戸銀座,大坂銀座,長崎銀座の開設を見た。慶長丁銀についで元禄丁銀(1695鋳造),宝永二ッ宝丁銀(1706),宝永三ッ宝丁銀(1710),宝永四ッ宝丁銀(1711),正徳享保丁銀(1714),元文丁銀(1736),文政丁銀(1818),天保丁銀(1837),安政丁銀(1859)が造られた。江戸時代には関東の金遣い,関西の銀遣いの慣行が見られ,丁銀,豆板銀は主として関西地方において流通した。丁銀,豆板銀は取引のつど秤量しなければならなかったので,その不便を取り除くために包銀の慣行があった。この包銀には常是包,銀座包,仲間包があった。1868年(明治1)5月,維新政府は銀目廃止(銀目停止)の布令を出し,銀目(銀遣い)取引の慣行は廃止となり,金遣いおよび銭遣いによるべきこととされた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「丁銀」の意味・わかりやすい解説

丁銀
ちょうぎん

江戸時代の銀貨。秤量(ひょうりょう)貨幣。海鼠(なまこ)形で重さは40匁(150グラム)前後であるが一定していないため、豆板(まめいた)銀と組み合わせて一定量として、封包(ふうづつみ)して用いることが多かった。丁銀は銀座で鋳造されたが、「常是(じょうぜ)」「宝」および大黒(だいこく)像の極印(ごくいん)が打たれ、封包にも常是印あるいは両替店の印が捺印(なついん)されて通用した。1601年(慶長6)以後幕末まで11種類の丁銀がつくられた。そのうちでもっとも良質なのは慶長(けいちょう)銀・享保(きょうほう)銀で、銀銅の割合が80対20であったが、もっとも質の劣る安政(あんせい)銀では13対87になっている。江戸中期以降、五匁銀、ついで二朱銀・一朱銀のような計数貨幣が出現すると、丁銀の通貨としての重要性は失われた。

[滝沢武雄]

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百科事典マイペディア 「丁銀」の意味・わかりやすい解説

丁銀【ちょうぎん】

江戸時代の銀貨。海鼠(なまこ)形をした量目不定の秤量(ひょうりょう)貨幣。1個は43匁(1匁は3.75グラム)内外。室町後期から両替商の極印を押した銀塊が通貨として流通していたが(古丁銀とよばれた),江戸幕府はこれを丁銀に統一し銀座に鋳造権を与えた。最初の丁銀は1601年に鋳造され,安政丁銀までたびたび改鋳されたが,正徳・享保丁銀を除き品位は下落。室町期を含む初期の丁銀は切遣いされたが,豆板(まめいた)銀の普及とともに切遣いは停止。1868年維新政府の銀目廃止の布令によって豆板銀とともに通用停止。
→関連項目慶長金銀天保金銀秤量貨幣文政金銀

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「丁銀」の解説

丁銀
ちょうぎん

室町末~江戸時代の秤量(しょうりょう)銀貨の一種。はじめ極印(ごくいん)銀の一種だったが,1601年(慶長6)から銀座で大黒常是(じょうぜ)の銀が独占的に鋳造された。形状はなまこ形で,重量は30~50匁,当初切遣いも行われたようだが,やがて豆板銀を掛目の調整にして包封のまま使用するのが一般化した。表には「常是」「寳」や大黒天像などの極印が打刻されたが,宝永改鋳時の4種の銀貨には「常是」の極印はない。慶長銀から安政銀に至るまでたびたび改鋳され,改鋳年次を表す極印も打たれた。江戸後期,南鐐(なんりょう)二朱銀など金貨の単位をもつ計数銀貨が主流になると,秤量銀貨の相対的地位は低下し,1868年(明治元)に貨幣としての使用が停止された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「丁銀」の意味・わかりやすい解説

丁銀
ちょうぎん

江戸時代,豆板銀とともに秤量貨幣として通用した銀貨。目方は 40匁 (150g) 前後で一定せず,形状はなまこ形。小額の支払いには適当に切って使用された。銀 80:銅 20の慶長元禄銀から銀 13:銅 87の安政銀まで 11種あった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「丁銀」の解説

丁銀
ちょうぎん

江戸時代の銀貨
形は一定せず,なまこ形で一枚43匁 (もんめ) (約160g )内外。少額の支払いは切って使用し,豆板銀とともに秤量貨幣。銀座で鋳造され,「常是」「宝」の字や大黒像が極印された。成分比は慶長銀・享保銀が銀80対 銅20が最良,安政銀の13対87が最悪。

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世界大百科事典(旧版)内の丁銀の言及

【地丁銀】より

…田賦ともいう。清朝の租税は,ほかに関税・塩税・雑税があり,清末には新税も増設されたが,これらはすべて間接税で,直接税は地丁銀だけであった。清朝は,明代の地銀(地賦)・丁銀(丁賦)2本立て租税を引きついだが,人頭税である丁銀(16~60歳の壮丁に課税)は,官僚層の免除特権の乱用,富裕地主の丁数ごまかし,貧困農民の未納増加などの諸要因から,その徴収が困難になった。…

【銀】より

…徳川氏は1601年(慶長6)大黒常是の極印銀を採用して彼を銀座の吹人に任用した。慶長の丁銀,豆板銀がこれである。当時は諸藩,諸地域で鋳造された極印銀も多く,灰吹銀とともに通用していて,その範囲や量は判金,玉金などより広くまたはるかに多い。…

【銀座】より

…江戸幕府の銀貨鋳造所をいう。金座が本来は小判,一分金の鋳造所であったのと同様に,銀座も本来は秤量貨幣としての丁銀(ちようぎん),豆板銀の鋳造所であった。はじめは幕府の留守居年寄に,1689年(元禄2)からは勘定奉行に属した。…

【豆板銀】より

…江戸時代の銀貨の一種。丁銀(ちようぎん)の補助貨幣的な役割を果たし,その形状が小粒であったところから小粒銀・小玉銀とも呼ばれる。量目は1個1~10匁くらいであった。…

※「丁銀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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