天保金銀(読み)テンポウキンギン

デジタル大辞泉 「天保金銀」の意味・読み・例文・類語

てんぽう‐きんぎん【天保金銀】

江戸幕府天保3年(1832)から同9年の間に鋳造した金銀貨総称二朱判金・五両判金・小判金大判金一分判金一分銀丁銀豆板銀など。

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改訂新版 世界大百科事典 「天保金銀」の意味・わかりやすい解説

天保金銀 (てんぽうきんぎん)

江戸時代,天保年間(1830-44)に発行された金銀貨幣の総称。幕府財政改革の目的をもって1837年に金銀貨の改鋳を行い,天保五両判天保小判,天保一分金天保丁銀・豆板銀,天保一分銀を造り,翌38年には天保大判を鋳造した。これらの天保金銀は文政金銀に比べて改悪されているが,天保大判のみは例外で,良質の慶長大判享保大判と量目・品位とも同じものであった。そのため天保吹増大判とも呼ばれる。天保大判は大判座後藤家16代の後藤方乗のときに鋳造された。
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百科事典マイペディア 「天保金銀」の意味・わかりやすい解説

天保金銀【てんぽうきんぎん】

江戸時代,1837年―1843年(天保8年―14年)に鋳造された金銀貨。天保の大飢饉後の物価高騰,幕府財政破綻状況のもとで,財政補強のための改鋳。五両判・小判一分金丁銀豆板銀・一分銀は文政(ぶんせい)金銀より品質を改悪し,莫大な改鋳益金(出目(でめ))を非常用に備蓄した。なお1838年鋳造の大判のみは例外で,慶長大判と同品質。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「天保金銀」の解説

天保金銀
てんぽうきんぎん

1837~43年(天保8~14)の間に江戸幕府により鋳造・発行された,文政金銀に代わる金銀。金貨のうち小判・一分判は品位はほぼ不変だが,量目は1両3.5匁から3匁とやや小型になった。新種金貨として五両判がでたが,1両あたりの純金量が小判の9割しかなく,あまり普及しなかった。銀貨は丁銀・豆板銀(小玉銀)が文政銀の品位36%から26%に下落した。新種銀貨として,金貨の補助的貨幣となる一分銀が大量発行された。量目は通用停止となった文政南鐐(なんりょう)二朱銀よりやや大きいにすぎず,品位は同じだったので,幕府はその改鋳益だけで一分銀鋳造量の4割ほどを得た。享保期に続き若干の大判の吹増しもあった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天保金銀」の意味・わかりやすい解説

天保金銀
てんぽうきんぎん

天保期(1830~1844)に江戸幕府が発行した金貨・銀貨。二朱判、一分金、小判、五両判、大判、二朱銀、一分銀、丁(ちょう)銀、豆板銀などがあるが、大判を除き改鋳による品質低下をもたらした。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天保金銀」の意味・わかりやすい解説

天保金銀
てんぽうきんぎん

江戸幕府が天保年間 (1830~44) およびそれ以降に鋳造,発行した金貨,銀貨の総称。新鋳したものに天保二朱判,五両判,天保一分銀があり,改鋳したものに大判,保字小判 (→小判 ) ,保字一分判,保字銀があり,その他増鋳もあった。品位の低下がみられたが,大判だけは慶長大判と変らなかった。

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