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慶長金銀 けいちょうきんぎん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

慶長金銀
けいちょうきんぎん

江戸幕府が慶長6 (1601) 年から鋳造し,流通させた金銀貨幣で,金座,銀座,銭座を設け,それぞれ金貨,銀貨,銭貨を鋳造し,慶長から元禄まで 95年間もの長い期間にわたって広く通用した。金貨は大判 (10両) ,小判 (1両) ,1分判 (4分の1両) ,銀貨は丁銀 (100~190g) ,豆板銀 (3.8~38g) から成り,銀貨は秤量貨幣であった。慶長金銀は元禄8 (95) 年に改鋳され,品位の劣る元禄金銀に代った。金銀貨の比価は金1両=銀 50匁 (190g) とされた。当時は金銀両貨の間に本位貨と補助貨の関係はなく,関東方面では金,関西方面では銀をもって物価計算の本位とした。 (→正徳・享保金銀 )  

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百科事典マイペディアの解説

慶長金銀【けいちょうきんぎん】

徳川氏が全国統一の貨幣制度を樹立した1601年(慶長6年)から元禄金銀を発行した1695年(元禄8年)までに幕府が鋳造発行した金銀貨幣の総称慶長大判大判)をはじめ,小判一分金丁銀(ちょうぎん),豆板銀など。

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世界大百科事典 第2版の解説

けいちょうきんぎん【慶長金銀】

1601年(慶長6)以降発行された金銀貨幣。同年徳川家康は新幣制を設け,慶長大判,同小判,同一分金,同丁銀,同豆板銀(小粒銀,小玉銀)を鋳造した。大判(10両),小判(1両)は楕円形,一分金は長方形の定位貨幣で,丁銀はナマコ形,豆板銀は不定形の粒状をした秤量貨幣であった。慶長大判は京都の大判座後藤徳乗が鋳造し,のちに徳乗の弟長乗が江戸で引き続いてつくった。慶長小判,同一分金は大判座の後藤家から分かれた後藤庄三郎光次により江戸の小判座はじめ,京都,駿府,佐渡の鋳造所においてつくられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

慶長金銀
けいちょうきんぎん

1601年(慶長6)以後江戸幕府で発行し流通した金貨(大判(おおばん)、小判(こばん)、一分判(いちぶばん))と銀貨(丁銀(ちょうぎん)、豆板銀(まめいたぎん))。純分は1000分中大判670.9、小判862.8、一分判855.7、銀貨791.9(ほかに金2.0)。16世紀以来しだいに流通し始めた金銀貨が、品位・量目(りょうめ)とも不定で、全国的通用が困難であったため、これを一定にした新貨を発行して流通を円滑にすることが図られた。この慶長金銀が継続的かつ大量に鋳造されたことにより、近世的貨幣制度が整備された。1695年(元禄8)の貨幣改鋳以後、慶長金銀の使用は停止されたが、実際にはその後も長く民間で保存され通用していた。慶長金銀の鋳造高は、小判・一分判1472万両余、銀貨120万貫目。[滝沢武雄]

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