1818年(文政1)発行の文政真文二分金はじめ,19年の文政小判,文政一分金,20年の文政丁銀・豆板銀,24年の文政南鐐二朱銀,文政一朱金,28年の文政草文二分金,29年の文政南鐐一朱銀を総称していう。江戸幕府は1736年(元文1)の貨幣改鋳以来,長期間にわたりほとんど改鋳・増鋳を行わなかったが,文化・文政期(1804-30)における経済発展や幕府財政の窮乏化に対応して大規模な改鋳が実施された。文政期の改鋳に際して,幕府は1824年大坂で両替屋十五軒組合を組織し,江戸においても両替屋に新二朱銀の引替方を編成し,新旧両貨の交換業務を円滑に行うことができる体制の強化につとめた。
執筆者:作道 洋太郎
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1818年(文政元)の真文二分金の新鋳に始まる,文政~天保初年に江戸幕府により鋳造・発行された金銀貨。文政(草文)小判・一分金は80年余流通した元文(真文)小判・一分金と同量目,品位はわずかに落ちて56.41%,文政丁銀・豆板銀(小玉銀)の品位は36%となった。文政金銀の特徴は多くの小額金貨や計数銀貨が新鋳されたことにある。1両当りの価値が通用小判と同一な真文二分金は,28年に13%価値の低い草文二分金に改鋳され,通用小判の半分前後の価値しかない一朱金,天保二朱金も大量発行された。南鐐(なんりょう)二朱銀も26%小型の文政二朱銀に改鋳され,さらに低価値の一朱銀も出回り,小額貨幣全盛の時代に入った。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…将軍家斉は生涯を通じて40人の側妾(そくしよう)を持ち,このうち17人の腹から55人の子が生まれたが,これは家斉の大奥生活がどんなに長かったかを物語るものであり,豪奢(ごうしや)な生活内容を示唆してあまりある。 家斉の奢侈(しやし)生活や北方問題の進展による出費の増大が,寛政改革でやや立直りを見せた幕府財政をふたたび悪化させたが,幕府はこれに対して,倹約令の反復と並んで貨幣改鋳(文政金銀)の益金に頼る方針を取った。しかし前後8回に及ぶ悪貨の乱発は幕府財政の補強には役だったが,諸物価の騰貴や銭相場の下落などを招き,民衆の生活をいっそう悪化させた。…
※「文政金銀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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