万之瀬川(読み)まのせがわ

日本歴史地名大系 「万之瀬川」の解説

万之瀬川
まのせがわ

薩摩半島中央部をほぼ西流する二級河川。万瀬川などとも記される。鹿児島市南西端の美濃みの(四七三メートル)山麓の錫山すずやま付近に源を発して南西に向かって流れ、川辺町の両添りようぞえ野崎のさき川・神殿こうどの川、小野おのふもと川、みや高田たかた(永里川)を合流して流れを北西に変え、加世田市の川畑かわばた長谷ながたに川・大谷おおたに川、村原むらはらで加世田川を合流。その後蛇行しながら金峰きんぽう町との境を流れ、益山ますやま地内の畦杭あぜぐい西方、加世田市高橋たかはし金峰町高橋の境で東シナ海に注ぐ。流路延長約三〇キロ、流域面積約三八一平方キロ。享和二年(一八〇二)以前の河口は現在より南の加世田市小湊の小松原こみなとのこまつばらにあった。

金峰町高橋の高橋貝塚の出土品などから、弥生時代に万之瀬川河口部一帯が南西諸島や九州西海岸諸地域と海上交通で結ばれていたことが明らかにされている。平成八年(一九九六)現河口から四キロほどさかのぼった北側河畔に立地する金峰町宮崎みやざき持躰松もつたいまつ遺跡から、南九州では最大量の中国製陶磁器(一一世紀後半から一五世紀前半)および国内産陶器(常滑焼など)が出土。器物の構成から一次的な陸揚地と考えられ、中世の万之瀬川下流部における活発な交易活動を示すものとして注目を集めた。旧河口付近左岸の小湊には、延文六年(一三六一)四月二〇日の島津道春譲状(早稲田大学蔵下野島津文書)などにみえる加世田別符唐坊とうぼうの遺称地当房とうぼうがある。唐坊とは中国人の住む街市の謂で、筑前博多唐坊の例からして中世前期における宋商人の租界的集住地であった可能性が高い。当房に近接して唐仁原とうじんばら(中世には唐人原と記された)という地名も残っており、万之瀬川旧河口付近に交易拠点があったという想定が成り立つ。

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改訂新版 世界大百科事典 「万之瀬川」の意味・わかりやすい解説

万之瀬川 (まのせがわ)

鹿児島県薩摩半島南部を北西流する川。全長34kmで薩摩半島では最長。流域面積350km2。鹿児島市の南西部,薩摩半島の脊梁部にあたる山地に源を発し,南九州市の旧川辺町で麓(ふもと)川,永里川と合流,南さつま市の旧加世田市で大谷川,長谷川,加世田川などの支流を加え,吹上浜砂丘を横断して東シナ海に注ぐ。川筋の山地は一般に低く,交通の便がよかったため,古来薩摩の中心部を形成していた。最上流部には江戸時代からスズ鉱山があった。中流の川辺盆地,下流の加世田平野には水田が広がる。旧川辺町と旧加世田市との境界付近は峡谷となり,岩盤に多数の甌穴(おうけつ)があり,観光地となっている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「万之瀬川」の意味・わかりやすい解説

万之瀬川
まのせがわ

鹿児島県薩摩半島(さつまはんとう)部最大の河川。延長30キロメートル、流域面積381平方キロメートル。半島の脊梁(せきりょう)部にあたる鹿児島市錫山(すずやま)付近の500~600メートルの山地に源を発し、南西に流下し、のちに西北西に流向を変え、吹上浜(ふきあげはま)で東シナ海に注ぐ。上流の錫山には薩摩藩政時代以来の錫鉱があり、中流部には川辺盆地、盆地下流の狭窄(きょうさく)部の河床は溶結凝灰岩で、多数のポットホールが形成されている。近年、鹿児島市の水供給不足を補うため、導水トンネル工事が行われ、一部の流域変更が図られた。

[塚田公彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「万之瀬川」の意味・わかりやすい解説

万之瀬川
まのせがわ

鹿児島県南西部,薩摩半島の南部を西流する川。全長約 30km。鹿児島市の権現ヶ尾 (485m) 付近に発し,南西流して川辺盆地に入り,麓川などの支流を合わせて北西に転じ,南さつま市の加世田付近で大谷川,加世田川などを合わせて西流,吹上浜南部で東シナ海に注ぐ。流域は南薩地域の水田地帯を形成。急流部に甌穴群があり,南九州市の川辺などに水力発電所がある。

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