『万葉集』に詠まれている植物をいい、その数は160種ほどである。万葉植物を知ることによって、当時の栽培植物、渡来植物、食用・染料・繊維などの有用植物、庭の花、野外で観賞された花、花の飾り方など、万葉人の植物利用や関心が明らかにできる。
食用植物にはイネ、アワ、キビ(きみ)、ムギなどの穀物、カブ(あおな)、フユアオイ(あおい)、サトイモ(うも)、ウリ、ニラ(くくみら)などの野菜、クリ、ナシ、モモ、スモモ、ナツメ、タチバナ類などの果実があり、いずれも栽培下にあったと考えられる(括弧(かっこ)内は当時の呼称)。ほかにもミズアオイ(なぎ)、コナギ、セリ、ノビル、ヨメナ(うはぎ)、オケラ(うけら)、スミレ、クログワイ(えぐ)、ヒシなどの野草やマツタケ(あきのか)、およびアシツキ、ホンダワラ(なのりそ)、ミル、ワカメなどの淡水藻、海藻も食用とされていた。
海外から渡来した植物には、穀物や野菜のほか、観賞植物がある。渡来した観賞植物には、花木としてはウメ、モモ、スモモ、ニワウメ(はねず)、タチバナ、カラタチ、庭木としてはシダレヤナギがあり、草花としてはハス(自生もある)、ケイトウ(からあい)、ベニバナ(くれない)、ヤブカンゾウがあり、その数は樹木7、草花4の計11種である。一方、日本に自生する植物のうち、宿(やど)(屋戸、夜戸、室戸、屋前、屋外と書く)、垣内(かきつ)、垣根、垣間、植える、播(ま)くなどの表現を伴い、庭で栽培されていたとみられる観賞植物がある。花の美しい木としてはヤマブキ、アセビ、ハギ、ツバキ、フジ、サクラ、ウツギ、ツツジ、アジサイ、ナシ、センダン、ネムノキの12種があり、庭木としてはマツ、タケ、カエデの3種がある。また、草花にはナデシコ、ユリ、ススキ(ハナススキなど)の3種がある。このうち、ススキは積極的に植えられたかどうかは不明であるが、いちおう庭の植物に含めると日本の自生植物は18種となる。これに前出の渡来植物11種を加えた29種が、万葉人の庭に植えられた樹木と草花ということになる。
[湯浅浩史]
庭に植えられた29種のうち、樹木は22種、草花は7種で、圧倒的に樹木のほうが多い。これは、野生種を含めて考えると、いっそうはっきりする。花の美しい自生の樹木は16種で、このうち12種は栽培もされている。これに対して花の美しい草は20種を数えるが、栽培されている形跡があるのはわずかに4種である。万葉植物は、草本類が82種、木本類とタケ・ササ類が78種と、ほぼ同数となるので、明らかに栽培には花木好みが現れているといえる。この傾向は、個々の植物が歌にどのくらい詠まれているかという総数からもつかむことができる。
万葉植物のうち、もっとも多く詠まれた植物はハギで141首、これに次ぐのがウメの118首、さらにマツ79首、タチバナ68首、サクラ50首と続く。一方、草本類ではアシ50首、スゲ(スガも含む)49首、ススキ(カヤ、オバナなども含む)47首が上位を占める。花の美しい草ではナデシコが1位で26首詠まれ、オミナエシ14首、ユリ10首、カキツバタ7首などがこれに続く。また、野の花の観賞は季節に差があり、春の美しい草花はスミレ、オキナグサ(ねっこぐさ)、カタクリ(かたかご)くらいしか登場しない。これに対し、夏から秋にかけては15種の花の美しい草が詠まれ、山上憶良(やまのうえのおくら)の秋の七種(くさ)の歌(巻8「萩(はぎ)の花 尾花葛花(をばなくずはな) なでしこが花 をみなへし また藤袴(ふぢはかま) 朝顔(あさがほ)が花」)も花を中心に据えた選択である。ところが、『万葉集』には春の七草がなく、春の代表花であるスミレですら、山部赤人(やまべのあかひと)が歌ったように摘み草の対象にされていた(巻8「春の野に すみれ摘みにと 来(こ)し我(われ)そ 野をなつかしみ 一夜寝(ひとよね)にける」)。厳しい冬を過ごした万葉人は、春にはまず、食用として草花をみていたようである(歌の表記はすべて小学館『日本古典文学全集・萬葉集』による)。
[湯浅浩史]
花は染色にも用いられた。カキツバタ、ツユクサ、ケイトウ、コナギなどの花は、直接にすり付ける「花摺(はなずり)」によって染色した。このほか、アカネ、ムラサキ、ヤマアイ、クヌギ(つるばみ)、ハンノキも染色に使われている。巻12には「紫(むらさき)は 灰(はひ)さすものそ 海石榴市(つばきち)の 八十(やそ)の衢(ちまた)に 逢(あ)へる児(こ)や誰(たれ)」と歌われており、ムラサキはツバキの灰で媒染されていたことがわかる。
万葉時代の繊維はアサがおもに使われたが、フジの繊維も作業着として残されていた。巻3には「須磨(すま)の海人(あま)の 塩焼(しほや)き衣(きぬ)の 藤衣(ふぢころも) 間遠(まとほ)にしあれば いまだ着なれず」と詠まれている。コウゾの樹皮からも繊維がとれ、縄(たく縄)、綱(たく綱)や衣料(白細(しろたえ))にされた。マコモの葉からは畳薦(たたみごも)、薦枕(こもまくら)、食薦(すごも)がつくられた。スゲも菅笠(すげがさ)、菅枕(すがまくら)に使われた。
材は山林からの利用だけではなく植林によっても得ていた。巻10には「古(いにしへ)の 人の植(う)ゑけむ 杉(すぎ)が枝(え)に 霞(かすみ)たなびく 春は来(き)ぬらし」と詠まれている。タチバナは並木にされていたし(巻2「橘(たちばな)の影(かげ)踏む道の 八衢(やちまた)に 物をそ思ふ 妹(いも)に逢はずして」)、ヤナギも都の大路を飾っていた(巻19「春の日に 萌(は)れる柳を 取り持ちて 見れば都の 大路(おほち)し思ほゆ」)。
万葉人は花を手折り、観賞し、飾ったが、室内にいけることはなかったようで、いけ花は一首も歌われていない。室内ではわずかにユリの花縵(はなかずら)が詠まれているにすぎない(巻18「油火(あぶらひ)の 光に見ゆる 我(わ)が縵 さ百合(ゆり)の花の 笑(ゑ)まはしきかも」)。花縵のほか、挿頭華(かざし)、結(ゆ)ひ垂(た)れ、袖(そで)に扱(こき)入れ、袖に受ける、玉に貫(ぬ)くなどして花を身につけたり、飾ったりした。花縵や挿頭華に使われた植物にはヤマブキ、フジ、サクラ、ハギ、ウメ、ヤナギ、ショウブなどがあり、女性よりも男性が飾ることが多かった。これらのことから、万葉人の花利用には現代とは趣(おもむき)を異にする面もあったといえる。
なお、万葉植物を植栽する植物園には、国分寺万葉植物園(東京都国分寺市)、春日(かすが)大社神苑萬葉植物園(奈良市)などがある。
[湯浅浩史]
『小清水卓二著『萬葉植物と古代人の科学性』(1950・大阪新聞社)』▽『小清水卓二著『万葉の草・木・花』(1970・朝日新聞社)』▽『松田修著『増訂・萬葉植物新考』(1970・社会思想社)』▽『桜井満著『万葉の花』(1984・雄山閣出版)』
《万葉集》に詠まれた植物をいう。その数は多く,植物そのものを対象として詠んだものと,植物を比喩的に詠んだものとがある。松田修《花の文化史》(1977)などの通説によれば,《万葉集》には約150余種の植物が現れ,そのうち観賞に足る花の数は約50種くらいである。また,これらの植物を多く詠まれている順に示すと以下のようになる。( )内はその歌数である。はぎ(141),うめ(118),たちばな(68),おばな(46),さくら(40),くれない(29),ふじ(27),なでしこ(26),うのはな(24),くず(18),やまぶき(17),おみなえし(14),あしび(10),つつじ(10),つばき(9)であり,歌数だけでは判定できないが,あるていど万葉人の花の愛好度を示すものといえよう。このほか,大陸からの渡来も多いこと,草本より花木が多いことなどが指摘されている。
しかし,すぐに疑問が起こる。なぜ,150余種も詠材にされているのに,観賞植物が50種しかないのか。この疑問こそ,万葉植物の特徴を解くかぎとなるばかりでなく,《万葉集》そのものの形成過程の解読に役立つ回路の所在をも照示してくれるであろう。すでに戦前からこの疑問を発し自身この解答を提起した植物学者がいる。小清水卓二は《万葉植物と古代人の科学性》(1948)において,植物分類語彙の多い理由を次のように述べている。これらの植物の多くは有用植物であるために,人の目に触れやすく,また中国の本草学の知識を摂取消化して日本化し,日常生活に活用していたため,自然にこれらの植物名に人々が深い関心と親しみを持ち,おのずから人口に膾炙して歌詞に織り交ぜられるようになったものと考えられる。そして,同書によれば,《万葉集》に現れる植物を利用,応用方面から類別し,兼用のものを重複加算してみると,37%が薬用植物,8%が染料用植物,2%が繊維用植物,26%が木材用あるいは細工用植物,21%が観賞用として価値ある植物であり,4%が著しい用途はないが,寄生植物であったり,特異性を示したりするものである,という。万葉に150余種類にものぼる多数の植物名が詠み込まれている理由を,それらが有用植物だったためであるとしている。
それにしても,有用だから植物語彙を150余種も知っていたというのに,愛好し諷詠すべき観賞植物を50種に限った根拠は何であったのか。この問いに関しては,律令官人貴族たちが中国詩文的教養を規準にして作歌したからだと答えれば,おおむね的を射たことになるであろう。だが,《万葉集》全巻に充満する知的エネルギーを思うと,中国詩文をお手本に仰いだとする説明のみでは不十分である。明らかに,はみでるものがある。それを解くことはむずかしいが,美しくもなく取るに足りない植物を100種以上も分類してみせた万葉人の〈野生の思考〉それ自体が強力な〈知識体系〉をつくりあげていたと考えざるをえない。レビ・ストロースは,先行民族学報告が世界各地の未開種族において数百種の植物分類語彙の知られていることを紹介しているのをふまえ,〈動植物種に関する知識がその有用性に従ってきまるのではなくて,知識がさきにあればこそ,有用ないし有益という判定が出てくるのである〉と述べている。おそらく,このような野生的知識体系を豊富な植物命名の形式で保持していた農民と,中国詩文の学習を通じて新しい知識体系に習熟しようとしていた律令官僚と,両者間の知的激突が一つのシステムをつくりあげていたと考えられる。《万葉集》全20巻が放射する眩(まばゆ)いばかりのエネルギーの正体は,まさしくこれだったのではないか。
なお,これら万葉植物を栽培,展示した〈万葉植物園〉が東京都国分寺市,神奈川県湯河原町,奈良市などに開設されている。
執筆者:斎藤 正二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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