万里集九(読み)バンリシュウク

デジタル大辞泉 「万里集九」の意味・読み・例文・類語

ばんり‐しゅうく〔‐シフク〕【万里集九】

[1428~?]室町中期の臨済宗の僧。近江おうみの人。相国寺大圭宗价だいけいそうかい師事。後期五山文学代表者。詩文集「梅花無尽蔵」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「万里集九」の意味・わかりやすい解説

万里集九 (ばんりしゅうく)
生没年:1428(正長1)-?

室町中期の臨済宗一山派の僧。はじめ聖一派の人。蔵主の位までのぼったが応仁の乱後に還俗して漆桶万里(しつとうばんり)と称した。乱をのがれて美濃鵜沼に退き,庵を結び〈梅花無尽蔵〉と号す。これにちなんで別称を梅庵,椿岩,梅花無尽蔵漆桶子という。妻帯して2子があった。美濃では承国寺,正法寺を中心とする文雅の席に交わる。生活の資は美濃守護代斎藤氏一族の援助と,諸方で三体詩や東坡詩を講じた謝礼などによったらしい。1485年(文明17)9月太田道灌に招かれて江戸に赴く。滞在中に道灌主君暗殺されたが,この後も抑留されて87年8月ようやく江戸を発ち,北陸路を経て89年5月美濃に帰った。これら江戸行のようすは詩文集《梅花無尽蔵》に詳しい。詩文に宋の葛長庚(かつちようこう)や陸游(りくゆう)の影響がみられ,作品の数も多いが,本領はむしろ講学にあった。この方面の著書に《天下白》《帳中香》ほかがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「万里集九」の意味・わかりやすい解説

万里集九
ばんりしゅうく
(1428―?)

室町中・後期の漢詩人。俗姓は速水(はやみ)氏。禅僧として臨済宗一山派に属したが、応仁の乱後に還俗(げんぞく)して美濃国鵜沼(うぬま)を本拠とし、庵室の梅花無尽蔵(ばいかむじんぞう)を構えた。別に梅庵、椿岩(ちんがん)とも号した。瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)や一華建怤(いちげけんぷ)への従学、横川景三(おうせんけいさん)や桃源瑞仙(とうげんずいせん)などの文筆僧との交遊、長男の千里瑞翼(せんりずいよく)と次男の百里等京(ひゃくりとうけい)の誕生や鵜沼を本拠とする還俗生活、太田道灌(おおたどうかん)の招請による関東下向などが注目される。著作には抄物(しょうもの)『天下白(てんかはく)』、『帳中香(ちょうちゅうこう)』、『暁風集(ぎょうふうしゅう)』のほか、詩文集『梅花無尽蔵』がある。

朝倉 尚]

『中川徳之助著『万里集九』(1997・吉川弘文館)』『市木武雄著『梅花無尽蔵注釈 全6巻』(1993~98・続群書類従完成会)』『市木武雄・梅田薫著『万里集九著「梅花無尽蔵」の世界』(2005・鵜沼歴史研究会)』

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朝日日本歴史人物事典 「万里集九」の解説

万里集九

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:正長1.9.9(1428.10.17)
室町時代の臨済禅の僧,漢詩人。のちに還俗し,漆桶万里と称した。梅庵,椿岩とも号す。近江国(滋賀県)安曇郡に生まれ,俗姓,速水氏。相国寺雲頂院,大圭宗价の弟子となり,雲章一慶 ら当代一流の学僧の講席に連なり学芸を身につけた。応仁1(1467)年相国寺が兵火にかかり,近江,美濃,尾張を転々とする。このころ妻をめとり,2子をもうけた。文明12(1480)年美濃国鵜沼(岐阜県各務原市)に梅花無尽蔵という庵を構え定住し,詩作に励み,また守護代斎藤氏の依頼で『三体詩』の講義を行った。同17年,武蔵国江戸城主,大田道灌(資長)の招きに応じ,その庇護を受けた。道灌が暗殺されたのち,長享3(1489)年美濃に帰り,このあとも盛んに詩作,講義を行った。詩文集『梅花無尽蔵』は自らの作を年代順に編集,注を加えたもので,その見聞の記録は歴史史料としても貴重である。<参考文献>玉村竹二編『五山文学新集』6巻

(原田正俊)

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百科事典マイペディア 「万里集九」の意味・わかりやすい解説

万里集九【ばんりしゅうく】

室町中期の臨済宗一山派の僧。応仁の乱後還俗して漆桶万里(しっとうばんり)と称した。1480年美濃に梅花無尽蔵(ばいかむじんぞう)と号する庵を結び,美濃守護代斎藤氏一族の援助を得て三体詩や東坡詩を講じた。1485年太田道灌(どうかん)の招きにより江戸へ赴いた。滞在中に道灌は暗殺,その後もしばらく抑留されたが,1489年美濃に帰った。詩文集《梅花無尽蔵》があるが,本領は講学にあり,著書に《天下白》《帳中香》などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「万里集九」の解説

万里集九 ばんり-しゅうきゅう

1428-? 室町-戦国時代の僧,漢詩人。
正長(しょうちょう)元年9月9日生まれ。臨済(りんざい)宗。京都相国(しょうこく)寺の大圭宗价(そうかい)にまなぶ。応仁(おうにん)の乱後,還俗(げんぞく)して漆桶(しっつう)万里と称し,のち美濃(みの)(岐阜県)承国寺にすむ。文明17年(1485)太田道灌(どうかん)にまねかれ,江戸にでた。五山文学後期の代表的詩人。近江(おうみ)(滋賀県)出身。俗姓は速水(はやみ)。号は梅花,梅庵。著作に詩文集「梅花無尽蔵」など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「万里集九」の解説

万里集九
ばんりしゅうく

1428.9.9~?

室町中・後期の臨済宗の僧で,後期五山文学の代表的詩人。近江国生れ。相国寺の大圭宗价(そうかい)に従って出家した。その後,常在光寺の一華建怤(いちげけんぷ)などから学芸面での指導をうけ,以後詩文の道に励んだ。応仁・文明の乱の際に還俗し漆桶(しっつう)万里と称した。1485年(文明17)太田道灌(どうかん)の招きで江戸におもむいた。生涯をとおして美濃・尾張・関東・越後など各地を遍歴した。詩文集「梅花無尽蔵」。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「万里集九」の意味・わかりやすい解説

万里集九
ばんりしゅうく

室町時代中期の臨済宗僧。万里は字,集九 (周九) は諱。号は梅花無尽蔵,また漆桶叟。幼時から相国寺の玉竜庵にいたが,応仁1 (1467) 年乱を避けて近江,美濃,尾張を歴遊し,帰京後,横川景三 (おうせんけいさん) ,景徐周麟に従い,また妙心寺の悟渓宗頓,東陽英朝に師事した。五山文学者として知られ,詩文集に『梅花無尽蔵』がある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「万里集九」の解説

万里集九
ばんりしゅうく

1428〜?
室町中期の禅僧
名は「周九」とも書く。梅花無尽蔵と号す。京都相国寺に学び,応仁の乱をさけて美濃(岐阜県)鵜沼に庵室を結ぶ。のち太田道灌に招かれ江戸に遊ぶ。漢詩文に長じ,文集『梅花無尽蔵』がある。

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367日誕生日大事典 「万里集九」の解説

万里集九 (ばんりしゅうく)

生年月日:1428年9月9日
室町時代の臨済宗の僧;漢詩人;相国寺雲頂院;大圭宗价の弟子
?年没

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世界大百科事典(旧版)内の万里集九の言及

【梅花無尽蔵】より

…室町中期の禅僧万里集九(ばんりしゆうく)の詩文集。7巻。…

※「万里集九」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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