室町中期の臨済宗一山派の僧。はじめ聖一派の人。蔵主の位までのぼったが応仁の乱後に還俗して漆桶万里(しつとうばんり)と称した。乱をのがれて美濃鵜沼に退き,庵を結び〈梅花無尽蔵〉と号す。これにちなんで別称を梅庵,椿岩,梅花無尽蔵漆桶子という。妻帯して2子があった。美濃では承国寺,正法寺を中心とする文雅の席に交わる。生活の資は美濃守護代斎藤氏一族の援助と,諸方で三体詩や東坡詩を講じた謝礼などによったらしい。1485年(文明17)9月太田道灌に招かれて江戸に赴く。滞在中に道灌は主君に暗殺されたが,この後も抑留されて87年8月ようやく江戸を発ち,北陸路を経て89年5月美濃に帰った。これら江戸行のようすは詩文集《梅花無尽蔵》に詳しい。詩文に宋の葛長庚(かつちようこう)や陸游(りくゆう)の影響がみられ,作品の数も多いが,本領はむしろ講学にあった。この方面の著書に《天下白》《帳中香》ほかがある。
執筆者:今泉 淑夫
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室町中・後期の漢詩人。俗姓は速水(はやみ)氏。禅僧として臨済宗一山派に属したが、応仁の乱後に還俗(げんぞく)して美濃国鵜沼(うぬま)を本拠とし、庵室の梅花無尽蔵(ばいかむじんぞう)を構えた。別に梅庵、椿岩(ちんがん)とも号した。瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)や一華建怤(いちげけんぷ)への従学、横川景三(おうせんけいさん)や桃源瑞仙(とうげんずいせん)などの文筆僧との交遊、長男の千里瑞翼(せんりずいよく)と次男の百里等京(ひゃくりとうけい)の誕生や鵜沼を本拠とする還俗生活、太田道灌(おおたどうかん)の招請による関東下向などが注目される。著作には抄物(しょうもの)『天下白(てんかはく)』、『帳中香(ちょうちゅうこう)』、『暁風集(ぎょうふうしゅう)』のほか、詩文集『梅花無尽蔵』がある。
[朝倉 尚]
『中川徳之助著『万里集九』(1997・吉川弘文館)』▽『市木武雄著『梅花無尽蔵注釈 全6巻』(1993~98・続群書類従完成会)』▽『市木武雄・梅田薫著『万里集九著「梅花無尽蔵」の世界』(2005・鵜沼歴史研究会)』
(原田正俊)
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1428.9.9~?
室町中・後期の臨済宗の僧で,後期五山文学の代表的詩人。近江国生れ。相国寺の大圭宗价(そうかい)に従って出家した。その後,常在光寺の一華建怤(いちげけんぷ)などから学芸面での指導をうけ,以後詩文の道に励んだ。応仁・文明の乱の際に還俗し漆桶(しっつう)万里と称した。1485年(文明17)太田道灌(どうかん)の招きで江戸におもむいた。生涯をとおして美濃・尾張・関東・越後など各地を遍歴した。詩文集「梅花無尽蔵」。
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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