三ッ屋村(読み)みつやむら

日本歴史地名大系 「三ッ屋村」の解説

三ッ屋村
みつやむら

[現在地名]笠松町田代でんだい長池ながいけ

田代村の東、木曾川沿いにある。中世には三屋みつや保として推移したが、江戸時代の度々の洪水で村の大半は河原となったと伝える。「師守記」貞治六年(一三六七)九月一〇日条に三屋保がみえ、土岐直氏が請所としていた。もと大浦おおうら(現羽島市)にあった一向宗聖徳しようとく寺は、天正一二年(一五八四)の小牧・長久手の戦の頃は冨田とみだ(現愛知県尾西市)に移っていたが、同一四年の木曾川筋氾濫後当地に再移転した。


三ッ屋村
みつやむら

[現在地名]辰口町三ッ屋

倉重くらしげ村の東に位置する。戦国期、越前朝倉氏が加賀に侵入した際、ゲンサ、ヨヨムサ、セイジョムサを屋号とする三軒が住みつき草分となったと伝え、明治期にこの三軒はいずれも田甫という名字を名乗っている(辰口町史)。江戸時代を通じ加賀藩領であったが、寛永一六年(一六三九)から万治二年(一六五九)までは富山藩領。正保郷帳では高五〇八石余、田方二六町八反余・畑方三町一反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高五〇九石、免三ツ九歩、ほかに山役七八匁。弘化三年(一八四六)の百姓数二三、うち懸作四(「山上組品々帳」辰口町立博物館蔵)


三ッ屋村
みつやむら

[現在地名]福野町三ッ屋

小矢部おやべ川と大井おおい川の中間に位置し、東はうめしま村・布袋ほてい村。文禄三年(一五九四)の砂子坂末寺之覚帳(光徳寺文書)に「ミつや四郎左衛門道場」とみえ、砂子坂すなござかは当時の城端善徳じようはなぜんとく寺を意味し、当地にその道場があった。元和五年(一六一九)の家高新帳では役家数一〇。正保郷帳では高三四〇石余、田方二二町四反・畑方二反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(三ッ屋区有文書)では草高三一一石、免五ツ六歩、小物成は山役二七匁、同六年に検地引高四二石があった。


三ッ屋村
みつやむら

[現在地名]婦中町三屋みつや

山田やまだ川中流右岸の段丘上に位置し、対岸にあたる西は外輪野そとわの村、南は下瀬しもぜ村。地名の由来は戦国期富崎とみさき城主神保氏の支配下にあった頃から戸数が三戸であったためで、明治期までそうであった(婦負郡志)。正保郷帳では高二九石余、田方一町一反余・畑方八反。享保六年(一七二一)の高三四石余(「村付高改帳」島倉家文書)。寛政二年(一七九〇)には三津屋村とあり、古高三四石余・定免四ツ六歩五厘、新田高一一石余・平均免一ツ六歩二厘余、小物成は山川役三二匁五分三厘(高物成品々手鏡)


三ッ屋村
みつやむら

[現在地名]金沢市三ッ屋町・弓取町ゆみとりまち

浅野川の下流左岸、三口みつくち村の北に位置する。正保郷帳では高一六二石余、田方一〇町四反余・畑方四反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高一六六石、免七ツ、鳥役五目の小物成があったが、鷹場となり免除された(三箇国高物成帳)。同年間の家高数三・百姓数七(高免付給人帳)。同一二年の粟崎道筋村々書上(改作所旧記)によれば、ほかに下百姓が一人いた。享保五年(一七二〇)に二七石の検地引高があり、村高一三九石になった(天保一三年村御印物成等書上帳)。寛文元年宮腰みやのこし往来の道普請が行われ、当村から二疋の馬が徴発された(改作所旧記)


三ッ屋村
みつやむら

[現在地名]羽咋市三ッ屋町

太田おおた村の北、邑知おうち潟南の低平地に立地。貞和年間(一三四五―五〇)の開拓との伝承がある(「八幡佐太神社明細帳」八幡佐太神社蔵)。もと太田村の枝村で(「公務当用記」加藤文書)、正保郷帳・天保郷帳では太田村と一括して高付される。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高三三八石、免五ツ、小物成は山役一一八匁・苦竹役二匁、鳥役六匁(出来)であった(三箇国高物成帳)。天保年間(一八三〇―四四)の村明細によると高三三九石、免は同じ、家数二六(うち頭振一)・人数八六、馬一、稼は苧・木綿。


三ッ屋村
みつやむら

[現在地名]富山市住吉すみよし

射水平野南東端、親村の住吉村の北に位置し、婦負郡に属する。うしくび用水が西流する。村名は家数が三軒であったことによるという。三津屋とも記した。元禄一一年(一六九八)の富山藩領郷村高辻帳ではまき(住吉村の古名)の北二町にある同村の枝村新田とされ、高七〇石。なお同年の古田新田高村付改帳(前田家文書)に明暦四年(一六五八)から延宝年中(一六七三―八一)新田村として三ッ屋村・高一〇三石余がみえるが、当村のことか。


三ッ屋村
みつやむら

[現在地名]豊栄市三ッ屋

阿賀野川右岸に位置し、北は高森たかもり村、南東は太子堂たいしどう村。正保国絵図に高二六石余、新発田藩領とある。承応元年(一六五二)太子堂村半之丞は「長戸呂村之内大久保縄内より三ツ屋村浦谷内迄」の開発を願出ている(倉島家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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