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三・一五事件 さん・いちごじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三・一五事件
さん・いちごじけん

1928年3月 15日に行われた 1500人に及ぶ日本共産党員の全国的大検挙。2月 20日の日本最初の衆議院普通選挙後のことである。渡辺政之輔福本和夫野坂参三鍋山貞親佐野学三田村四郎らは逮捕を免れたが起訴された者は 483人に及んだ。このあと同年6月 26日に治安維持法が改正され,最高刑に死刑と無期懲役が追加された。

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デジタル大辞泉の解説

さんいちご‐じけん【三・一五事件】

昭和3年(1928)3月15日、田中義一内閣が日本共産党などの関係者千数百名を、治安維持法違反の容疑で一斉検挙した事件。

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百科事典マイペディアの解説

三・一五事件【さんいちごじけん】

1928年3月15日田中義一内閣の下で全国一斉に行われた最初の日本共産党弾圧事件。27年テーゼで組織的に確立した共産党による《赤旗(せっき)》の創刊や第1回普選における公然活動に対し,政府は全国の共産党,労農党評議会関係者1500余名(うち488名起訴)を治安維持法違反容疑で検挙し,4月10日には労農党,評議会,全日本無産青年同盟を解散させた。
→関連項目市川正一志賀義雄島木健作丹野セツ徳田球一日本労働組合評議会布施辰治渡辺政之輔

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三・一五事件
さんいちごじけん

1928年(昭和3)3月15日に日本共産党に対して行われた大弾圧。翌29年の四・一六(よんいちろく)事件とあわせて共産党に致命的な打撃を与えた。当時、非合法下に置かれた共産党は27年12月以後、「二七年テーゼ」に基づき工場細胞(支部)を基礎とする活動に着手。28年2月には中央機関紙『赤旗(せっき)』を創刊、同月行われた普通選挙法による初の総選挙には11名の党員を労働農民党から立候補させ独自の大衆宣伝を公然と行った。27年に山東(さんとう)出兵を強行し中国侵略へ向かっていた田中義一(ぎいち)内閣は、共産党の活動が国民に影響を及ぼすことを恐れ、秘密裏に内偵を続けたうえで、28年3月15日未明、全国一斉に捜査、野坂参三(さんぞう)、志賀義雄(よしお)、河田賢治(けんじ)らの幹部をはじめ共産党員および同党支持者など約1600名を検挙した。徳田球一(きゅういち)はすでに2月26日に逮捕されていたが、逃れた幹部の検挙は続き、10月には国領五一郎(こくりょうごいちろう)も逮捕された。
 政府は4月10日に日本労働組合評議会、労働農民党、全日本無産青年同盟を解散させ、この日ようやく事件の報道を解禁、新聞は共産党を恐ろしい集団と印象づけるニュースを報じた。特高警察は逮捕者に非人道的な拷問を加え、小林多喜二(たきじ)は小説『一九二八年三月十五日』でこの事実を告発した。起訴された者は483名、全国の裁判所で審理が行われたが、東京では四・一六事件被告らと統一公判に付され、代表陳述の形をとった。被告のほとんどが治安維持法違反で有罪となったが、この弾圧は全国民に対する思想的・政治的自由の全面的剥奪(はくだつ)と全面戦争への道を開いた。[梅田欽治]
『我妻栄他編『日本政治裁判史録 昭和・前』(1970・第一法規出版) ▽日本共産党中央委員会出版局編・刊『日本共産党の六十年』(1982) ▽上田誠吉著『昭和裁判史論』(1983・大月書店)』

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