丹野セツ(読み)たんのせつ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹野セツ」の意味・わかりやすい解説

丹野セツ
たんのせつ
(1902―1987)

労働運動家。福島県小浜町に大工の子として生まれ、日立鉱山長屋に育つ。日立本山(もとやま)病院見習看護婦のとき、労働者解放思想に目覚める。1921年(大正10)以来3回家出をして上京。暁民会、赤瀾(せきらん)会に参加。渡辺政之輔(まさのすけ)らの組織した「南葛(なんかつ)労働組合」に加わる。23年の亀戸(かめいど)事件で危うく死を免れ、東洋モスリン女工となる。翌24年渡辺と結婚。日清(にっしん)紡亀戸工場の女工となり、26年日本共産党再建の際入党。党婦人部長を務め、27年(昭和2)関東婦人同盟に加入。28年8月逮捕された。32年懲役7年の判決を受け、非転向を貫き、宮城刑務所に下獄。38年満期出獄、中国への脱出を試みたが失敗。敗戦後は56年(昭和31)東京都葛飾(かつしか)区に四ツ木診療所を創立し、のち四ツ木病院理事。

[吉見周子]

『山代巴・牧瀬菊枝編『丹野セツ――革命運動に生きる』(1969・勁草書房)』

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