三遊亭円歌(読み)さんゆうていえんか[さんせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三遊亭円歌」の意味・わかりやすい解説

三遊亭円歌(3世)
さんゆうていえんか[さんせい]

[生]1932.1.10. 東京
[没]2017.4.23. 東京
落語家本名中沢円法。岩倉鉄道学校卒業。1945年 2世三遊亭円歌入門前座名は三遊亭歌治。1948年二つ目に昇進,2世三遊亭歌奴と改名。1953年自作新作落語『授業中』を口演。小学生の国語の授業風景を描いた作品で,多くの聴衆の共通体験をくすぐり,ラジオなどで徐々に名を上げた。同時期に 1世林家三平とともに人気が爆発し,1957年にはともに二つ目のまま寄席トリを務めた。翌 1958年真打ちに昇進。テレビの時代になっても,『授業中』や鉄道学校時代の漫談などで人気を博した。その後も『授業中』の生徒たちが大人になったらという設定の『月給日』,『浪曲社長』(永滝五郎作)などを口演。1970年 3世三遊亭円歌を襲名。1970年代後半頃からは同居する両親など老人の生態を描いた『中沢家の人々』を演じ,寄席の爆笑王として活躍。古典落語では地噺(じばなし)の『西行』などを得意とする。1985年日蓮宗本法寺で得度。1996年落語協会会長就任。2006年会長を退き最高顧問に就任。(→落語

三遊亭円歌(2世)
さんゆうていえんか[にせい]

[生]1891.4.28. 新潟
[没]1964.8.25. 東京
落語家。本名田中利助。新潟中学校卒業。はじめ旅回りの素人一座で,三遊亭柳橋を名のって落語をやっていたが,やがて本職の落語家になることを決意。1915年 1世三遊亭円歌に入門し,三遊亭歌寿美,その後,1世三遊亭歌奴と改名。1921年真打ちに昇進。1934年 2世三遊亭円歌を襲名。吃音があったが,みごとに克服した。派手な芸風で,芝居好きだったところから『四段目』『七段目』などの芝居ネタを得意とし,『三味線栗毛』『紺田屋』など珍しいネタももっていた。円歌の名を世に出したのは,兄弟子の 3世三遊亭金馬作の新作落語『呼び出し電話』。電話がまだ珍しかった時代の風俗と円歌の明るい芸風があってラジオ時代に人気を博した。戦後も電話加入 30万台記念の新作落語コンクールで入選した『空巣の電話』(大野桂作)を口演。『社長の電話』(鈴木みちを作)とあわせて電話三部作と呼ばれた。門下に 3世三遊亭円歌,三笑亭笑三らがいる。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「三遊亭円歌」の解説

三遊亭 円歌(2代目)
サンユウテイ エンカ


職業
落語家

本名
田中 利助

別名
初名=三遊亭 歌寿美,前名=三遊亭 歌奴

生年月日
明治24年 4月28日

出生地
新潟県

経歴
大正3年初代三遊亭円歌の弟子となり三遊亭歌寿美を名乗り、4年歌奴、8年真打、昭和9年2代目円歌を襲名した。落語協会副会長。越後なまりと強いきつ音を克服、古典落語のほか新作も語り、踊りもうまかった。

没年月日
昭和39年 8月25日 (1964年)

伝記
忘れえぬ落語家たち談志絶倒 昭和落語家伝落語―知れば知るほどこんな落語家(はなしか)がいた―戦中・戦後の演芸視落語長屋の知恵落語家―懐かしき人たち 興津 要 著立川 談志 著,田島 謹之助 写真橘 左近 著小島 貞二 著矢野 誠一 著興津 要 著(発行元 河出書房新社大和書房実業之日本社うなぎ書房青蛙房旺文社 ’08’07’07’03’86’86発行)


三遊亭 円歌(初代)
サンユウテイ エンカ


職業
落語家

本名
泉 清太郎

別名
初名=三遊亭 右左喜,前名=三遊亭 三橘,三遊亭 小円右

生年月日
明治9年 6月10日

出生地
東京・下谷

経歴
15歳から奉公に出るが、実家の仕立屋が類焼し父と死別する。明治28年初代三遊亭円右の門人となり、右左喜の名で前座をつとめる。のち三橘、小円右を経て、40年9月円歌と改名して真打となる。この間、上総房州、大阪、九州など各地をまわるほか、日露戦争にも参加している。人情噺・芝居噺から古典・新作と幅広くこなした。得意の演題は「鹿政談」「品川心中」「新助市」など。また、古典の「酢豆腐」を改作した「石鹸」などが知られる。

没年月日
昭和2年 10月22日 (1927年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「三遊亭円歌」の解説

三遊亭 円歌(2代目)
サンユウテイ エンカ

大正・昭和期の落語家



生年
明治24(1891)年4月28日

没年
昭和39(1964)年8月25日

出生地
新潟県

本名
田中 利助

別名
初名=三遊亭 歌寿美,前名=三遊亭 歌奴

経歴
大正3年初代三遊亭円歌の弟子となり三遊亭歌寿美を名乗り、4年歌奴、8年真打、昭和9年2代目円歌を襲名した。落語協会副会長。越後なまりと強いきつ音を克服、古典落語のほか新作も語り、踊りもうまかった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三遊亭円歌」の解説

三遊亭円歌(3代) さんゆうてい-えんか

1929- 昭和後期-平成時代の落語家。
昭和4年1月10日生まれ。岩倉鉄道学校に在学中,国鉄新大久保駅につとめ,昭和20年2代三遊亭円歌に入門。歌治をへて,33年歌奴(うたやっこ)で真打となり,45年3代円歌を襲名。自作の「授業中」がヒット。60年僧籍にはいり,円法を名のる。平成8年落語協会会長。得意演目はほかに「浪曲社長」「月給日」「中沢家の人々」など。東京出身。本名は中沢信夫。

三遊亭円歌(2代) さんゆうてい-えんか

1891-1964 大正-昭和時代の落語家。
明治24年4月28日生まれ。初代三遊亭円歌に入門,歌寿美(かすみ)を名のり,のち歌奴(うたやっこ)と改名。大正10年真打となり,昭和9年2代円歌を襲名。「社長の電話」などの新作をヒットさせ,あかるい芸風で人気をえた。昭和39年8月25日死去。73歳。新潟県出身。新潟中学卒。本名は田中利助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の三遊亭円歌の言及

【落語】より

…軽妙な3代春風亭柳好(りゆうこう)(1889‐1956),明快な弁舌の3代三遊亭金馬,粋な3代桂三木助,近代落語の巨星8代桂文楽,独特の名人芸の5代古今亭志ん生,持ちネタの数と至芸を誇った6代三遊亭円生,人情噺,芝居噺の名手林家彦六(8代林家正蔵),新作の闘将5代古今亭今輔(いますけ)(1898‐1976)などが黄金時代を形成した。 1985年現在の東京には,〈落語協会〉に,滑稽噺の名手5代柳家小さん,新作の3代三遊亭円歌(1929‐ ),繊細で粋な2代古今亭志ん朝(1938‐ ),滑稽噺の人気者8代橘家円蔵(1934‐ ),飄逸な個性の10代柳家小三治(1939‐ )らがおり,〈芸術協会〉に,明朗な新作の4代桂米丸(よねまる)(1925‐ ),飄々たる妙味の新作の3代春風亭柳昇(1920‐ ),滑稽噺の10代桂文治らがおり,ほかに5代三遊亭円楽(1933‐ )一門,5代立川談志(1936‐ )一門などがあるが,志ん生,文楽などを筆頭にした名人上手の消えた穴は大きい。 一方,同じく現在の上方は,6代笑福亭松鶴(しよかく),3代桂米朝(べいちよう),3代桂春団治,3代桂小文枝(こぶんし)(1939‐ )などのベテランにつづいて,桂三枝(1943‐ ),2代桂枝雀(しじやく)(1939‐ ),桂文珍(ぶんちん)(1949‐ )などの若手が全国的な人気を集め,落語向きの寄席がないという悪条件のなかで,上方落語復興に精進をつづけている。…

※「三遊亭円歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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