中野城跡(読み)なかのじようあと

日本歴史地名大系 「中野城跡」の解説

中野城跡
なかのじようあと

[現在地名]日野町西大路

日野川北岸の平坦部に位置する平城で、城名は当地が古く中野と称されていたことに由来し、日野城・あさひ城ともよばれた。天文三年(一五三四)頃に蒲生定秀により築かれ、定秀―賢秀―氏郷と三代にわたって在城、天正一二年(一五八四)六月氏郷が伊勢国まつしま(現三重県松阪市)に移封されるまでの約五〇年間蒲生氏の主城となった。日野川が城の南側から西側を守る自然の要地にあり、築城にあたり西方には中世以来の日野市を発展させた城下日野町を建設、同町には商工業者の集住があったと考えられ、戦国期城下町形成では近江でも比較的早期に属する。徳田系図(仁正寺由緒記)によれば築城には約三年を要し、人夫延べ一〇万人余が動員され、一人当り日に一升の米を給付したため家臣の奉禄は二年間半減されたと伝える。また築城時の規模は東西八町(約八七〇メートル)、南北六町(約六五〇メートル)で、大手口や御屋形(本丸)は石垣造、丸の内には塀を構え、矢倉は土盛の掻揚城で、周囲に広さ五間・深さ一丈の総堀や幅五間・高さ一丈の土手を配したという。


中野城跡
なかのじようあと

[現在地名]和歌山市中野

紀ノ川旧河道の平野部の中央に位置し、和泉国に至る孝子越きようしごえ街道および和泉山脈の南を東西に通ずる淡島街道(旧南海道)を押えうる要衝の地である。周辺は低湿地で攻めるに難く、また土入どうにゆう川から紀ノ川に出る水運の便がある。平城ではあっても紀ノ川河北西部地域の拠点となり得、さらには紀ノ川南岸の雑賀さいか庄防衛の第一線として、絶好の地の利を得ている。現在はわずかに高台として残り、堀跡や石垣が一部残る。

「続風土記」は当城を貴志教信なる者の城としているが、貞治元年(一三六二)一一月二五日付沙弥道智譲状写(御前家文書)によれば貴志朝綱が薗部そのべ庄などの地頭職を譲り受けており、この朝綱の系譜を引く者であろうか。


中野城跡
なかのじようあと

[現在地名]山形市中野

山形城跡の北方約一〇キロにある。山形城の外城の一で、川東岸平地に築かれた中世の平城。面積は一七町二反余、堀は東側一八〇間・西側二〇〇間・南側一一一間・北側一六六間ほど。応永年間(一三九四―一四二八)最上満直の次男満基によって築かれたと伝える。文明一二年(一四八〇)山形城主最上義秋が没したのち満基の子満氏が最上宗家を継ぎ、次いで子義淳が継承し、中野・山形の両知行を行った(宝幢寺本最上氏系図)


中野城跡
なかのじようあと

[現在地名]北茂安町大字江口字中野

千栗土居ちりくどいの外にあるが、中野城があった頃は土居がなく、小丘の上の塹濠は広く、現東大島ひがしおおしま付近まで連なっていたと思われる。いまは比高五メートルの微高地、二〇アール余りの地に城跡らしい面影をとどめるにすぎない。その一角の高所に嘉永四年(一八五一)建立竹台ちくだい権現の石祠がある。

中野城は、大宰少弐教頼の甥、馬場頼周が築いた中世の平城である。頼周はこの城に拠って少弐資元を擁立したが、中国の大内義隆のためにしだいに圧迫され、享禄二年(一五二九)には大内の将、杉興連が少弐氏の綾部あやべ(現中原町)を攻めた。


中野城跡
なかのじようあと

[現在地名]櫛形町中野

中野集落の西にそびえる標高一〇二〇・三メートルのじよう山の山頂に築かれた中世前期の山城。甲斐源氏の加賀美遠光の嫡男秋山太郎光朝の詰城で、源頼朝に排斥された光朝が鎌倉勢に攻められ当城で自殺したと伝える(秋山旧事記)。この山の南東の尾根上を雨鳴あまなり山とよび、ここには雨鳴城の遺構がある。「甲斐国志」には新羅五郎種久の築城で、のち秋山太郎光朝の要害になると記される。三重の土塁がめぐり、二ノ郭・三ノ郭は巍然たりとある。中野城の南東に「一級下リテ馬冷場ト云処三面ニ塁ヲ設ク」とある。この馬冷場とは雨鳴城のことで、中野城の支城とされ、両城は以前から混乱して伝えられてきた。


中野城跡
なかのじようあと

[現在地名]邑楽町中野

中野集落の北部、浄土宗神光じんこう寺境内にある。「邑楽郡町村誌材料」によると、正和(一三一二―一七)の頃中野景春が築城したという。「邑楽町誌」は景春は「太平記」に登場する中野藤内左衛門と同一人で、また「神皇正統記」の中野宗昌とも同一人物だという。前掲町村誌材料によると、景春築城以後は子孫代々在城し、永正年中(一五〇四―二一)小泉こいずみ(現大泉町)城主冨岡秀光に属し、戦国末期には宝田義勝の居城となったとする。天正一八年(一五九〇)小泉城が小田原攻城軍の一隊である浅野弾正・前田孫四郎らに攻められ落城すると、運命をともにし廃城となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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