デジタル大辞泉
「久六島」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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久六島
きゆうろくじま
[現在地名]深浦町久六 久六
深浦町艫作崎西方海上約三〇キロ、北緯四〇度三一分、東経一三九度三〇分。上の島・下の島・ジブの島とよばれる三つの岩礁の総称。
島名は難破した越中の船から救助された水夫久六によるとも(秋田県山本郡長提出久六島に関する取調書)、艫作村の漁夫久六に由来する(「伊頭園茶話」新秋田叢書)ともいわれる。現岩崎村松神の大屋重兵衛氏所蔵記録によれば、同家六代の大屋久六が天明六年(一七八六)船問屋を営み、この島を発見したため島名としたともいう。「深浦町史」によれば、天正年間(一五七三―九二)に発見されて以来、深浦・艫作、沢辺・岩崎(現岩崎村)などの漁民により、鮑・栄螺・
・
・槍烏賊などの好漁場として利用されてきたという。
久六島
きゆうろくじま
岩館の西北一一里の海上にある岩礁。鮑・アラなどの好漁場で、難破船も多かった。島名の由来は難破した越中の船から救助された水夫久六にちなむ(山本郡長提出久六島に関する取調書)とも、弘前藩艫作村(現青森県西津軽郡深浦町)の漁夫久六にちなむ(伊頭園茶話)ともいわれる。
弘前藩の深浦村(現青森県西津軽郡深浦町)、艫作村や秋田藩の岩館村・八森村などの漁民が入漁していたらしく、明治二四年(一八九一)の山本郡長提出久六島に関する取調書に、古老の口碑として「往古岩館村勘十郎、市左衛門、亀吉等の数人手鉤、這鉤等なせしに始りたる」とある。
明治二〇年頃から好漁場として注目されるようになったが、同二四年に青森県が深浦村地籍への官有地編入を官報に告示し、秋田県との間にで帰属をめぐる紛争に発展した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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久六島 (きゅうろくじま)
青森県南西部,西津軽郡深浦町艫作(へなし)崎の西方海上30kmに浮かぶ岩礁群。上の島,下の島,ジブの島と呼ばれる三つの岩礁からなり,上の島は最も大きく,東西40m,南北15m,高さ5mである。1959年に光達距離12.5カイリの無人灯台が建てられた。この岩礁はアワビ,サザエなどの好漁場で,明治以来秋田・青森両県で帰属が争われたが,1953年に青森県に編入され,秋田県にも漁業入会権が認められた。
執筆者:横山 弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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久六島
きゅうろくじま
青森県南西部、艫作崎(へなしざき)の西方海上約30キロメートルに浮かぶ岩礁群。深浦町(ふかうらまち)に属す。島名は難破船から救助された水夫の名によるとか漁夫の名によるとかいう。最大岩礁を上の島(かみのしま)といい、東西40メートル、南北15メートル、標高4メートルである。1959年(昭和34)に光達距離12.5海里の無人灯台が建てられた。この付近はアワビ、サザエなどの好漁場で、明治以来、秋田、青森の両県で帰属が争われたが、1953年青森県に編入された。津軽国定公園に含まれる。
[横山 弘]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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久六島【きゅうろくじま】
青森県艫作(へなし)崎西北西約30kmの日本海上にある岩礁。16世紀末よりアワビ・サザエ・イカなどの漁場としてきたとも,1786年船問屋が発見したとも伝える。ホッケ,アワビ,海藻などの好漁場であるため,青森・秋田両県で50年にわたり帰属をめぐり争っていたが,1953年青森県深浦町に帰属,秋田県に入会(いりあい)権が認められた。光達距離13カイリの灯台がある。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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久六島
きゅうろくじま
青森県西部,艫作崎 (へなしざき)西方海上に浮ぶ岩礁の総称。上 (かみ) の島,下 (しも) の島,ジブの島と岩礁から成る。付近一帯は好漁場。明治以来,秋田,青森両県の間でその帰属に関して紛争が続いたが,1953年自治省の告示で青森県深浦町への地籍編入が決定した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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久六(きゅうろく)島
青森県西端の艫作崎(しなへざき)港の沖合い約30kmに位置する日本海上の岩礁。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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