日本歴史地名大系 「九一色郷」の解説
九一色郷
くいしきごう
戦国期に富士山の北西麓および
命禄元年(天文九年、一五四〇)七月一〇日の武田信虎印判状(西湖区有文書)に「西之海之内、ふつせきの役所免許候」とみえ、
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戦国期に富士山の北西麓および
命禄元年(天文九年、一五四〇)七月一〇日の武田信虎印判状(西湖区有文書)に「西之海之内、ふつせきの役所免許候」とみえ、
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甲斐にあった郷名。元来は本栖,精進,古関,梯(山梨県甲府市の南部),高萩,三帳(西八代郡市川三郷町),芦川,鶯宿(笛吹市),西湖(南都留郡富士河口湖町)よりなっていたが,江戸時代に高萩村から分村した中山,垈,畑熊(市川三郷町),折門,八坂(南巨摩郡身延町)を加えた14村を総称した。富士山麓の山間に位置し,九一色は工一色の意で木地師の開いた村ともいわれる。甲駿間を最短距離で結ぶ中道が走っており,木工品の販売のため郷民は古くから商業に携わっていた。武田氏は国境警備や材木奉公等のために,この地の名主層である九一色衆を重用し,保護のために諸商売免許の特権を与えた。九一色衆は1582年(天正10)徳川家康の入甲に功あり,徳川家康からも郷民の特権が承認され,以後郷民は近世を通し九一色郷特権商人として,西郡のタバコ,駿河の茶や魚類,塩等を扱い,近隣の国々まで広く商売を行った。
執筆者:笹本 正治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…東海道や中山道などの主要街道で旅人用の乗用馬をひくものから,脇街道でもっぱら物資輸送に従うものまで,その形態は多様である。会津西街道の中付駑者(なかつけどちや),信州伊那地方の中馬(ちゆうま),甲斐九一色郷(くいつしきごう)の馬稼ぎなどは後者の代表例であった。乗用馬は馬子1人が1頭をひいたが,物資輸送の場合は一度に数頭を追った。…
…甲府盆地南縁に位置し,笛吹川下流南岸を占める。戦国時代には九一色(くいしき)郷と呼ばれ,甲斐と駿河を結ぶ近道にあって武田氏に重視された。北部の低地は水田に,中部の曾根丘陵,芦川扇状地は桑園と果樹園に,南部の御坂山地北斜面は山林に主として利用されている。…
※「九一色郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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