日本歴史地名大系 「五稜郭跡」の解説
五稜郭跡
ごりようかくあと
函館市街の北東にある近世末期の洋式城郭で、箱館戦争(五稜郭の戦)の舞台となった。国指定特別史跡。安政元年(一八五四)一二月竹内保徳・堀利熙の両箱館奉行は、箱館を中心とする幕府領の統治、箱館開港による対外的関係の処理、海岸防備といった主要任務を遂行するため、箱館周辺の台場の整備と充実、箱館役所および支配向役宅の増改築ないし新築・移転を幕府に具申した。箱館湊に近い函館山麓に置かれていた箱館役所(箱館奉行所)の移転先に選ばれたのは、亀田村の奥、それまで
安政四年七月に掘割・土塁に着手、郭北側の一画に支配役宅、同心長屋五〇軒、定役仮宅三〇軒、組頭・調役など官宅一六軒、郭内の役所と付属建物などが設けられ、着工から足かけ八年をかけて元治元年(一八六四)六月に箱館奉行小出秀実が新奉行所に移った。当初は亀田役所土塁・柳野御陣営などともよばれ、建物など全容は文久二年(一八六二)の箱館亀田一円切絵図(市立函館博物館蔵)にみることができる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報