京田辺(読み)キョウタナベ

デジタル大辞泉 「京田辺」の意味・読み・例文・類語

きょうたなべ〔キヤウたなべ〕【京田辺】

京都府南西部の市。平成9年(1997)田辺町市制改称。人口6.8万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「京田辺」の意味・読み・例文・類語

きょうたなべキャウたなべ【京田辺】

  1. 京都府南部、木津川中流西岸地名一休が再興した酬恩院(一休寺)があり、一休の墓もある。平成九年(一九九七)市制。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「京田辺」の意味・わかりやすい解説

京田辺(市)
きょうたなべ

京都府南西部の市。1906年(明治39)町制施行し田辺町となる。1951年(昭和26)三山木(みやまぎ)、草内(くさうち)、普賢寺(ふげんじ)、大住(おおすみ)の4村を編入。1997年(平成9)市制施行し市名を京田辺とした。木津川の西岸に位置し、西は甘南備(かんなび)丘陵が占め、大阪府と境する。JR片町(かたまち)線、近畿日本鉄道京都線、国道307号が通じ、京奈和(けいなわ)自動車道田辺北・田辺西インターチェンジがある。近鉄線には京都市営地下鉄が相互乗入れしている。チャの生産が盛んで、高級玉露(ぎょくろ)の産地として知られる。宅地化が進み、また関西文化学術研究都市(けいはんな学研都市)域に含まれ、同志社大学田辺校舎も開設されている。一休(いっきゅう)宗純再興の酬恩庵(しゅうおんあん)(一休寺)があり、本堂方丈などは国指定重要文化財。庭園は国指定名勝。観音(かんのん)寺には国宝の十一面観音立像がある。国の史跡に大住車塚(くるまづか)古墳がある。ほかに、飯岡(いのおか)車塚古墳も有名。沢井家住宅は国指定重要文化財。面積42.92平方キロメートル、人口7万3753(2020)。

織田武雄


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改訂新版 世界大百科事典 「京田辺」の意味・わかりやすい解説

京田辺[市] (きょうたなべ)

京都府南部の市。人口6万7910(2010)。1997年綴喜(つづき)郡田辺町が市制,改称。東縁を木津川が北流し,西部は生駒山地につながる甘南備(かんなび)山が占める。木津川沿いに近鉄京都線,JR片町線が走り,沿線に市街地が発達している。第3次産業人口が就業人口の半数以上を占め,京都・大阪・奈良市のベッドタウンの色彩が濃い。農業は宅地開発の波におされて衰退しているが,田辺ナスや玉露など茶の栽培は盛んである。一休宗純ゆかりの酬恩庵(一休寺)には名勝に指定された庭園がある。また観音寺の本尊十一面観音立像は国宝に指定されている。
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百科事典マイペディア 「京田辺」の意味・わかりやすい解説

京田辺[市]【きょうたなべ】

京都府南部の市。1997年4月1日綴喜(つづき)郡田辺町から市制,改称。京都盆地の南端,木津(きづ)川西岸に位置し,北は八幡市,城陽(じょうよう)市,西は大阪府枚方(ひらかた)市などに隣接する。JR片町線,近鉄京都線,京奈和自動車道が通じ,1960年代後半以降,大都市近郊の住宅地として開発が進み,工場地化も著しい。野菜などのハウス栽培や花卉栽培が盛んで,玉露の産地としても有名。酬恩(しゅうおん)庵,同志社大学田辺校舎がある。42.92km2。6万7910人(2010)。

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