建築用語。次の三つの意がある。(1)6尺5寸(約197センチメートル)の1間(けん)。(2)建物の平面を計画するとき、柱間(はしらま)の基準となる1間の長さを6尺5寸とする体系( の(1))。(3)畳敷きの建物で、長辺6尺3寸(約191センチメートル)、短辺3尺1寸5分の寸法の畳を基準にして部屋の広さを決め、これを基に全体を計画する平面計画の体系( の(2))。
京都における住宅建築の柱間は、室町時代には1間を7尺(約212センチメートル)にとるのが普通であったが、江戸時代に入るころには6尺5寸が一般的になった。住宅の敷地などを測る寸法も、京都では江戸時代の初めには6尺5寸の1間が用いられていた。一方、江戸においては6尺(約182センチメートル)の1間が使われていたので、これと区別して、京都における6尺5寸の1間を京間、江戸における6尺の1間を田舎間(いなかま)とよんだ( の(3))。
室町時代から、住宅建築では方眼の上で平面を計画したことが確認でき、江戸時代に入ると、平面だけでなく、敷地全体に方眼を引いて建物の配置も計画するようになった。京都では、江戸時代を通して6尺5寸の京間を方眼の間隔とし、柱の心を方眼の交点や線にあわせて部屋や建物を計画する。したがって、たとえば8畳間の両端の柱の心々間隔は13尺となる。この京間による計画の体系は、京都に限らず主として武家や公家(くげ)などの上層の住宅に使われている。
また、京都における寺院や町屋でも、畳が敷き詰められるようになり、江戸時代に入って長辺6尺3寸、短辺3尺1寸5分の畳を基準にして部屋の広さを計画するのが一般的になる。この場合には建物全体に方眼を引くのではなく、部屋ごとに畳を並べて広さを決め、部屋の外回りの線に柱の面をあわせて、柱の位置を決める方法がとられる。この方法では、方眼が建物全体を覆っていないので全体の計画が複雑になるが、畳や建具の寸法が規格化される利点が生まれる。また、建物を配置するときに、敷地を覆う方眼に建物が完全にのらないので、配置計画が複雑になる。この計画の体系は、寺院や民家だけでなく、草庵(そうあん)風の茶室や数寄屋(すきや)風の書院にも使われ、しだいに武家や公家の住宅にも使われるようになる。また、柱の位置を内法(うちのり)寸法によって決めるというこの複雑な体系が基になって、きめの細かい設計手法が生まれ、江戸時代の大工技術が高度に発達した。
[平井 聖]
住宅建築において,基準寸法を1間=6.5尺(約1.97m)にするか,または畳の寸法を6.3尺×3.15尺(1.909m×0.954m)にしたもの。京都を中心にして,近畿地方,中国地方,四国地方,九州の一部など,西日本で使われる基準寸法。京間に対して,東日本で使われる1間=6尺(1.82m)の基準寸法を田舎間(いなかま)といい,名古屋地方で使われる6尺2寸,畳寸法6尺×3尺の基準尺を中京間(ちゆうきようま)とも呼ぶ。歴史的にみると日本の住宅の柱間は一定ではなく,奈良時代には10尺から7尺まで,いろいろな寸法が用いられていた。時代が下るにしたがって短くなり,京都周辺では桃山時代に6.5尺で統一されるようになったらしい。このような基準寸法への統一は,畳や建具などの互換性を確保するためと考えられ,このことが逆に柱や板などの建築材料や畳,建具などの規格化を生み出したものと考えられている。
執筆者:鈴木 充
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