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四国地方 しこくちほう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

四国地方
しこくちほう

日本の南西部,四国島および属島を含む地方。香川県徳島県愛媛県高知県の 4県からなる。四国島の名はかつて阿波国讃岐国伊予国土佐国の 4ヵ国が置かれていたことによる。この 4ヵ国に紀伊国淡路国を加えた 6ヵ国を南海道と呼んだ。

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デジタル大辞泉の解説

しこく‐ちほう〔‐チハウ〕【四国地方】

徳島香川愛媛高知の4県の地域。

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監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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百科事典マイペディアの解説

四国地方【しこくちほう】

本州南西にあり瀬戸内海を隔てて中国地方相対する四国島とその属島からなる地方。明瞭な中央構造線により西南日本内帯の北四国と西南日本外帯の南四国に分かれ,大部分は四国山地で占められる。

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世界大百科事典 第2版の解説

しこくちほう【四国地方】

北は瀬戸内海,南は太平洋に面する四国本島と,主として瀬戸内海に浮かぶ400以上の属島からなる。面積は合計1万8800km2で全国の5%,人口は418万(1995)で全国の3.3%を占め,ともに日本の8地方中最小である。近世までは讃岐,伊予,阿波,土佐の4国,現在は香川,愛媛,徳島,高知の4県に分けられ,一般に香川・愛媛を北四国,徳島・高知を南四国というが,京阪神からの遠近によって,香川・徳島を東四国とも呼び,愛媛・高知を西四国ともいう。

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大辞林 第三版の解説

しこくちほう【四国地方】

四国の四県からなる地方。

出典|三省堂
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日本の地名がわかる事典の解説

〔県域外〕四国地方(しこくちほう)


明治後期に成立した日本を8つに分ける地方区分の一つで、本州南西方にある四国島とその属島からなる地方。徳島・香川・愛媛・高知の4県からなる。東西に中央構造線が走り、その南の四国山地を境に北四国と南四国に分かれる。北四国は温暖少雨の瀬戸内式気候、南四国は高温多雨の太平洋岸式気候。北四国は大河川がなく、水不足が深刻。農林水産業が盛んで、高知県の野菜促成栽培、愛媛県のミカン栽培が知られる。北四国は瀬戸内工業地域の一部を構成する。1988年(昭和63)の瀬戸大橋本州四国連絡橋児島-坂出ルート)以降、西瀬戸自動車道(尾道-今治ルート)、明石海峡大橋(神戸-鳴門ルート)の3架橋が順次実現し、本州との結びつきが緊密化。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

四国地方
しこくちほう

本州の南西に位置する四国とその属島からなる地域で、日本8地方区分の一つ。東は鳴門(なると)海峡、紀伊水道を隔てて近畿地方と、西は豊予(ほうよ)海峡、豊後(ぶんご)水道を隔てて九州地方と、北は瀬戸内海を隔てて中国地方と相対し、南は太平洋に面している。四国は日本第四の島で、古くは阿波(あわ)、讃岐(さぬき)、伊予、土佐の4か国からなり、明治以降、それら4国はそれぞれ徳島、香川、愛媛、高知の4県となった。属島には瀬戸内海の小豆(しょうど)島、備讃(びさん)諸島の大部分、芸予諸島、防予諸島の一部のほか、宇和海に点在する島々がある。
 面積1万8805平方キロメートルで全国の約5%(2006)、人口408万6457人で全国の約3.2%にあたり(2005)、人口密度は1平方キロメートル当り217人である。中心部を広く四国山地が占めており過疎地が多い。県民性はおおむね内海型と外洋型に分かれ、内海型の香川県や愛媛県の東予地方は性温順で争いを好まず、模倣や迎合の傾向がある。そのかわり協調性に富み、まとめ役に適している。一方、外洋型の高知県や愛媛県南部の地方は、「いごっそう」の名で知られるように、自分の信念を押し通すところがある。[坂口良昭]

自然

四国の地形は大断層線の中央構造線によって南北に二分される。紀伊半島を紀ノ川に沿って西走し紀伊水道に没した中央構造線は、四国東部の徳島に上陸し、讃岐(さぬき)山脈の南麓(なんろく)を吉野川沿いに走り、石鎚(いしづち)山脈の北麓を通って佐田岬半島から豊後(ぶんご)水道を経て九州へ抜ける。この中央構造線の北側を内帯、南側を外帯とよぶ。内帯の地域は、讃岐山脈と讃岐平野からなる讃岐半島と、北西部の高縄(たかなわ)半島、それに瀬戸内海の島々である。讃岐山脈は竜王山(りゅうおうざん)(1060メートル)を最高峰とし、中生代白亜紀の和泉(いずみ)砂岩、頁岩(けつがん)の互層からなる。讃岐山脈の北に広がる讃岐平野は、讃岐山脈に発する小河川の侵食と堆積(たいせき)による沖積平野で、降水量が少ないため、古くから灌漑(かんがい)用の溜池(ためいけ)がつくられ、独特の景観をみせている。東三方ヶ森(ひがしさんぽうがもり)(1233メートル)を主峰とする高縄半島も和泉層岩で構成されている。
 外帯は、水成岩を主体とする高峻(こうしゅん)な四国山地が占める。四国山地は北から石鎚山脈、剣(つるぎ)山地、阿土(あど)山地、笠取鳥形(かさとりとりがた)山地、南予幡多(はた)山地、中予山地からなる。石鎚、剣両山地の北側は中央構造線によって標式的断層地形をなしている。吉野川下流に徳島平野、重信(しげのぶ)川下流に松山平野、物部(ものべ)川・仁淀(によど)川下流には高知平野があり、それぞれ県の中心地となっている。外帯は、北から結晶片岩の三波川(さんばがわ)帯、古生層、中生層、新生層の順で帯状に地層が並んでいる。なかでも結晶片岩帯は変成岩特有の美しい岩石が多く、吉野川上流や銅山(どうざん)川流域などで庭石業者が乱掘したので、現在持ち出しが禁止されている。この地層は崩れやすく、地すべり帯としてよく知られている。大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)や祖谷(いや)川沿岸の傾斜地にある農村は、家が傾いたり、農地の崩壊などの被害を被っている。また土讃本線や国道32号、さらに高知自動車道のトンネル工事なども難工事のすえに完成した。
 北四国の気候は瀬戸内海型で温暖少雨型で、台風などの気候災害も少ない。しかし、冬の北西季節風は意外と強く、また春先から初夏にかけて濃霧が発生することが多く、海や空の交通への影響が甚大である。また瀬戸内の特徴的なものに朝凪(なぎ)・夕凪現象がある。昼の海風と夜の陸風の交替時に出現する無風状態で、耐えがたい蒸し暑さを感じる。南四国は太平洋型のなかの南海型気候で、夏は高温多湿のうえに台風がまともに豪雨をもたらすので、高知市の年降水量は高松市の倍以上となる。その暑熱を利用して米の二期作が普及している。冬も温暖なので野菜の促成栽培が盛んである。
 年降水量は、南四国の高知県魚梁瀬(やなせ)地区などは5000ミリメートルに達するが、瀬戸内側は1000ミリメートル余にすぎない。しかも分水嶺(れい)が北に偏っているので、降水はほとんど高知ないし徳島側へ流出する。したがって南四国には四万十(しまんと)川、仁淀川、吉野川など比較的大きい河川があり、洪水も多いが、水資源にも恵まれている。一方、北四国は小河川のみで従来水不足に悩んできた。南四国は植生も豊かで、天然の美林が多いのに、瀬戸内側は裸山が目だつ。[坂口良昭]

産業

四国の産業別就業人口比率(1995)をみると、第一次産業は13.4%で全国平均7.1%に比べるとかなり高いウェイトを占め、食料供給基地の役目が大きい。農業生産は全国の5.3%(1993)で全国平均より高く、地域的には東北地方、北海道に次ぐ。とくに高知県の温室やビニルハウスによる促成栽培は盛んで、フェリーボートや瀬戸大橋などで東京・大阪市場へ直送している。典型的遠郊農業の特色をもち、ピーマン、トマト、キュウリ、ナス、スイカなどを季節外れに大量かつ組織的に出荷する。高知県では江戸時代から米の二期作が行われてきたが、最近は全国的な生産調整などで減少し、野菜、果実の生産額が米産を上回っている。
 段々畑で名高い愛媛県の農業は果樹栽培が特色で、ミカン、ナツミカン、イヨカンの生産量はいずれも全国一であり、米の生産量をはるかに上回る。しかし近年、過剰生産ぎみで価格の低落が農家にはこたえている。徳島県のスダチ、香川県の盆栽も特色がある。
 林業は南四国が温暖な気候と多雨のため、スギなどの美林が多く、とくに徳島県の木頭(きとう)、高知県の魚梁瀬は林業地として知られる。林業副産物としては和紙の原料のミツマタ、コウゾの生産が多く、愛媛・高知両県で全国生産の半分以上を占める。
 1995年(平成7)の四国4県の漁獲量は46万0675トンで、全国の漁獲量の4.3%を占める。瀬戸内はノリ、ワカメ、ハマチ、タイ、ヒラメなどの養殖が中心であるが、赤潮による被害を被ることが多い。土佐沖のカツオの一本釣りは有名だが、最近は延縄(はえなわ)漁法も多い。近海また遠洋でのマグロ漁業も盛んで、大部分は焼津(やいづ)港(静岡県)へ水揚げされる。水産加工業も高知県の土佐市、土佐清水(とさしみず)市でのかつお節加工、愛媛県伊予市の削り節「花かつを」などがよく知られる。愛媛県の真珠養殖は全国一を誇っている。
 四国の地質上、鉱産資源は乏しく、従来銅鉱、石灰石のほかにみるべきものはない。江戸時代中期から採掘が行われ、日本三大銅山の一つに数えられた愛媛県の別子(べっし)銅山も1973年に閉山した。
 四国では東予地区と徳島臨海地区が新産業都市に指定されているが、期待したほどの発展はなかった。四国の製品出荷額の全国比は、2.7%にすぎない。東予地区では住友系を中心にした新居浜(にいはま)・西条地区の重機械・化学・アルミニウムコンビナートが四国を代表する工業である。西条には最近、半導体やビールなど用水型工業が進出している。四国中央市の川之江・伊予三島地区にはパルプ・製紙工業が集中している。徳島県の吉野川河口には豊富な地下水、地上水を利用して東亜合成、東邦テナックス(旧東邦レーヨン)、日清(にっしん)紡、四国化成、大塚製薬などの化学工業団地が立地する。香川県の番の州(ばんのす)コンビナートには川崎重工業の造船、三菱(みつびし)系のコークス、YKKなどがある。松山臨海部は帝人系と丸善系の石油と化学繊維コンビナート、さらに高知臨海部にはセメントと電気化学工業の工場が立地する。
 四国の近代工業は、装置系、原料加工系の工業で、構造不況業種に属するものが多い。一方、地場(じば)産業も種類は多いが、これも輸出環境の悪化などでいずれも苦しい状況といえる。「伝統工芸品産業」の指定を受けているものに、香川県のきんま・象谷(ぞうこく)塗などの漆器、丸亀市の団扇(うちわ)、徳島県のしじら織、阿波(あわ)和紙、高知県の土佐和紙、愛媛県の大洲(おおず)和紙、砥部(とべ)焼があり、特殊技術をもっていちおう安定している。そのほか、代表的な地場産業をあげると、徳島市の鏡台やたんす、香川県東かがわ市の手袋、同さぬき市大川町のボタン、小豆(しょうど)島のしょうゆ、愛媛県今治(いまばり)市のタオルと縫製品、四国中央市の水引、製紙などがある。[坂口良昭]

交通

四国最初の鉄道は1888年(明治21)に三津浜―松山間に敷設された伊予鉄道である。その翌年讃岐鉄道の丸亀―琴平(ことひら)間が開通した。国鉄(現JR)は1927年(昭和2)予讃線の高松―松山間、35年高徳線の高松―徳島間、土讃線の高松―高知間が全通した。現在、瀬戸大橋を通る本四備讃線により本州と結ばれている。四国循環鉄道の構想は挫折(ざせつ)したが、四国西半分は、JR土讃線と予讃線が予土線で結ばれ、さらに土佐くろしお鉄道が中村まで通じる。東半分についてはJR高徳線、牟岐(むぎ)線に続いて、阿佐(あさ)海岸鉄道の海部(かいふ)―甲浦(かんのうら)間が、第三セクターで1992年(平成4)に開業した。
 道路は、1988年(昭和63)本四連絡橋の児島(こじま)―坂出(さかいで)ルートの完成により、本州と結ばれた。さらに、98年(平成10)神戸―鳴門(なると)ルート、99年尾道(おのみち)―今治(いまばり)ルートが全線開通した。四国内は、国道11号、32号、33号のいわゆるV字幹線道に加えて、臨海部を通る55号、56号のWルートの舗装、改良が進み、いまは快適な車による四国一周旅行ができるようになった。さらに四国縦貫自動車道の開通、四国横断自動車道の部分開通など高速道路網の整備も進んでいる。道路の舗装率、改良率はともに香川県を除く他の3県はきわめて悪い。なかでも改良率は全国最下位のグループにこの3県が入っている。
 海上交通は東京と徳島、高知を結ぶ長距離フェリーのほか、短・中距離フェリーが無数にある。対岸の岡山、広島、大分、和歌山各県との間、四国各県から阪神への中距離フェリーも多い。しかし瀬戸大橋架橋後、これらのフェリーのなかには大打撃を受けたものもあり、また、98年の明石海峡大橋の開通で、廃業あるいは縮小したフェリーが多い。空港は徳島、高松、松山、高知の四つがあり、いずれの空港もジェット機が就航している。[坂口良昭]

開発

四国の開発プロジェクトは交通関係が中心である。第一が本州四国連絡架橋で、1978年(昭和53)児島(こじま)―坂出(さかいで)ルートの瀬戸大橋の着工式があり、88年に開通した。また神戸―鳴門ルート(神戸・淡路(あわじ)・鳴門自動車道)は98年(平成10)4月、尾道(おのみち)―今治(いまばり)ルート(西瀬戸自動車道=瀬戸内しまなみ海道)は99年5月に、それぞれ全面開通した。四国幹線自動車道は、8の字型に交差する川之江市(現四国中央市)で1980年起工式が行われ、横断自動車道462キロメートル、縦貫自動車道224キロメートルの建設に着手した。1995年時点の供用率32.3%である。原子力発電は愛媛県伊方町で実用化されているが、他の候補地は地元の賛否両論で決定に至らない。1997年度末、四国の電力の原子力発電比(発受電力量比)は43%で、比率は漸増している。[坂口良昭]

人口

1920年(大正9)に第1回国勢調査が行われたが、そのときの四国の人口は306万5643人で、全国の5.5%を占めた。2005年(平成17)の国勢調査では人口408万6457人で、全国比3.2%、人口密度217人である。第二次世界大戦後の人口の推移をみると、いちばん多かったのが1955年(昭和30)の424万5000人(全国比4.8%)、少ないのが70年の390万4000人(3.7%)である。すなわち、第二次世界大戦中の疎開などで四国の人口は急増したが、60年代の高度成長期には人口が大都市に流出し、70年までの10年間に31万7000人の減少をみた。これが四国山地を中心にした過疎化の波となって現れた。
 4県のなかで1970年以降最初に人口増に転じたのは香川県で、65年の90万1000人を最低に上昇に転じ、80年12月には100万人を突破した。ついで愛媛県が70年141万8000人を最低に増に転じた。高知・徳島両県も70年をボトムに75年から増に転じてはいるが、年度別にみると愛媛は71年から、高知、徳島は74年からで、それも増の幅はきわめて少ない。90年からふたたび、香川を除く3県が減少に転じた。70年の国勢調査によると、人口減少率10%以上の町村数は香川が0、徳島が12、愛媛、高知がそれぞれ17であるが、95年では香川が0、徳島が4、愛媛が14、高知が3と愛媛の減が多い。人口流出の下げ止まりという点からいえば、安定成長期は四国にプラスしていたといえる。
 65歳以上の老齢人口の率の高いのが問題で、高知が全国3位、徳島8位、愛媛12位、香川が18位で、今後老人問題の処理は四国4県にとって重大な問題となろう。これは裏返せば出生率の低率ということで、香川県をのぞけば低位で、当然死亡率も高く、全国2位の高知県をはじめとして高位にある(2005)。[坂口良昭]

歴史

4県ともに旧石器が発見されており、先土器時代から人類の居住が認められる。また青銅器文化圏では、香川、徳島、高知の3県には銅鐸(どうたく)と銅剣、銅鉾(どうほこ)が同時に多数発見されており、大和(やまと)文化と北九州文化との境界帯をなしていたことがわかる。徳島では銅鐸が41個も発見されているが、これは全国有数である。1998年(平成10)3月、阿波国府跡から、7世紀の『論語』や税に関する木簡(もっかん)が発見され、日本最古級として注目されている。愛媛は北九州文化圏に属していたようだが、そのなかでも南予からは銅鉾、中予、東予からは銅剣が発見されており、文化圏の細分がみられる。古墳は愛媛に前方後円墳の大規模なものが多く、香川にもかなり発見されている。高知には円墳など小型のものが多い。当時の文化度、豪族の富の程度が瀬戸内側に偏っていたといえる。律令(りつりょう)制度下では五畿(ごき)七道の南海道に属した。
 四国全体が流罪の地であるが、とくに高知は遠流(おんる)の国として中央の政変のたびに多くの貴人が失意の涙を流した所でもある。土佐の国守紀貫之(きのつらゆき)の『土佐日記』は、京への帰任の海路のつれづれを描いているが、当時の航海は海賊が出没するなど厳しいものであった。海賊のなかで、宇和海の日振(ひぶり)島を拠点に活躍した前伊予掾(じょう)藤原純友(すみとも)の反乱は承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱として名高い。
 中世の四国は混乱の時代であるが、室町幕府の守護職細川一族が讃岐、阿波、土佐に力を振るった。その後阿波の三好(みよし)氏が細川氏を倒して讃岐にまで進出する。土佐では長宗我部(ちょうそがべ)一族が実力を蓄え、戦国末期、元親(もとちか)の代に一挙に四国平定の軍をおこし、1585年(天正13)の春にほぼ全四国を手中にした。伊予で当時勢力を振るっていたのは南予の西園寺(さいおんじ)氏と中予、東予の河野(こうの)一族であるが、どちらも元親の軍門に下った。しかし同年7月には四国征伐の軍をおこした豊臣(とよとみ)秀吉の前に長宗我部氏は降服し、土佐一国を領有するに至った。阿波は蜂須賀(はちすか)氏、讃岐は仙石氏、伊予は小早川氏がそれぞれ入部した。関ヶ原の戦いののち、土佐は山内氏の所領となった。このうち、土佐(24万石、朱印状20万石)、阿波(26万石)は一国一藩のまま明治に至るが、讃岐は生駒(いこま)氏の領有を経て高松藩松平氏(12万石)、丸亀藩京極(きょうごく)氏(6万石)の二つに分割される。京極丸亀藩は、後に多度津藩1万石を分家する。もっとも複雑な変動を示したのが伊予で、紆余曲折(うよきょくせつ)ののち最終的に8藩に分割された。松山藩15万石松平(久松)氏のほか、その分家の今治(いまばり)藩3万5000石、宇和島藩10万石伊達(だて)氏、その分家の吉田藩3万石、大洲(おおず)藩6万石加藤氏、その分家の新谷(にいや)藩1万石、西条藩3万石松平氏、小松藩1万石一柳(ひとつやなぎ)氏の8藩で、川之江・別子地方は天領となった。伊予の細分割は各藩の財政難を招き、伊予の七ツ免(村高の7割を徴集される意)といわれる高率年貢を課したので、百姓一揆(いっき)が多発した。
 幕末からの四国は土佐が中心である。尊王攘夷(じょうい)の先兵として坂本龍馬(りょうま)、中岡慎太郎などを輩出し、藩主山内容堂は率先して版籍を奉還した。それに比し、阿波、讃岐、伊予は維新への対応に苦しみ混乱が続いた。明治時代になっても、土佐は自由民権運動の発祥地として全国に名をはせた。板垣退助と立志社の運動は当時の日本をリードし、国会開設への原動力となった。近代日本の幕開けの主役は、遠流の国土佐であった。土佐人のいごっそうぶりが発揮されたのである。
 藩政時代の四国の特産物には、讃岐三白(さんぱく)の塩、綿、砂糖、阿波の藍(あい)、伊予の木綿、土佐の和紙などがあるが、明治以後急速に衰えた。しかし、そのうち讃岐の塩は専売制の下で発展を続け、伊予木綿は今治のタオル産業に引き継がれた。[坂口良昭]

民俗

四国の海岸部を巡って四国独特の文化と民俗を形成しているのは弘法(こうぼう)大師信仰である。春と秋には行路人に茶菓をふるまい、その御利益(ごりやく)を被ろうとするいわゆるお接待の風は各地でみられる。また大師の札所寺院の開基にまつわる難行苦行、大師の功徳(くどく)を語るさまざまな伝説は、四国の伝説を代表するものであり、徳島、高知や愛媛の山間の村には茶堂(ちゃどう)と称する吹抜けの大師堂が集落ごとにあり、特異な習俗をなしている。
 阿波の人形浄瑠璃(じょうるり)はわが国の人形芝居の源流をなすものの一つであるが、海の彼方(かなた)から訪れる神々を原型とするこの人形浄瑠璃は豊漁祈願の信仰と結合して、四国海岸部に足跡を残しており、漁村部の娯楽としても明治末年までその命脈を保っていた。
 四国を二分して縦断するものに平家伝説がある。伝説では屋島の合戦に敗れた平家一族は安徳(あんとく)帝を奉持して四国山地に入り、愛媛県西端まで達しており、その道筋にはいくつかの行在所(あんざいしょ)と陵墓を残している。なかでも著名なのは徳島県三好(みよし)郡祖谷谷(いやだに)であり、高知県高岡郡越知(おち)町の横倉山である。安徳帝が入水(じゅすい)したあとも、四国山地を縦断潜幸したと語り伝えているのは、剣山、石鎚(いしづち)山を頂点とする四国の山岳修行者の介在があったものと思われる。四国山地の怪異譚(たん)、地名由来譚、集落の開拓譚、正月に餅(もち)を搗(つ)かぬ家、門松を立てぬ家などの伝承や習俗が平家伝説から派生したものが多いことも大きな特色である。またこれら山地部では山伏系の神楽(かぐら)がみられ、木地師の伝承が多いほか、剣山系、石鎚山系、黒尊(くろそん)川流域では、狩猟習俗でもっとも重要視されている熊狩り習俗とその信仰が豊富である。そこには修験(しゅげん)、陰陽師(おんみょうじ)、吉田神道(しんとう)、熊野信仰などの影響がみられる。
 四国山地は南四国に多雨、北四国に寡雨という自然気象をもたらしているが、それは四国の生業やそれに伴う習俗にも投影されている。北四国では溜池(ためいけ)が多く、雨乞(あまご)い信仰が顕著に分布している。元来盆の奉納芸能であった鐘踊り、太鼓(たいこ)踊りが雨乞いに奉納され、南四国では同じ盆の芸能が秋の豊作を祝って奉納されるという変容をみせてくる。民家習俗においても、南四国では山麓(さんろく)で産出される石灰を用いた白壁造りの家が多く、風雨による壁の崩壊を防いでおり、軒先も低い。これに対して、北四国では土壁の家が多く、軒先を高くして風光を大きく取り入れている。
 また北四国の内海、南四国の外洋という地勢的差異は内海漁業と沖合漁業という漁法の違いをみせ、漁労組織習俗はより協同作業を必要とする南四国沿岸部に発達している。また内海と外洋の海の表情の違いは祭礼習俗のなかにもみられ、宇和島市三浦半島の盆の踊り舟やいさ踊り、松山市興居(ごご)島和気姫(わけひめ)神社の船踊りや櫂伝馬(かいでんま)などのように、海上に舟を浮かべて先祖霊を供養する祭式の多いのは穏やかな瀬戸内の海でこそなされることで、波濤(はとう)の砕け散る南四国の海辺では、八幡舟(はちまんぶね)をのせた台車が町中や参道を行く風景となる。
 四国4県を一つに結ぶものに金毘羅(こんぴら)信仰がある。瀬戸内では海運業の盛んなところから流し樽(たる)の習俗がみられ、海上安全の祈願と結び付く。南四国では稲作や家内安全の祈願と結び付き金毘羅講を形成し、それによって得た見聞は習俗の伝播(でんぱ)にも役割を果たしていた。
 地域的特徴を示すものとして、横死した宇和島藩士山家(やんべ)清兵衛を祀(まつ)る和霊(われい)神社(宇和島市)がある。四国西部にはこの御霊(ごりょう)信仰と早世した長男を崇(あが)める若宮信仰とが交錯しつつ、屋敷神や先祖神が濃く分布している。また香川県の海岸、島嶼(とうしょ)部および徳島県海部(かいふ)郡海陽(かいよう)町あたりでは両墓制がみられる。埋め墓をステバカ、サンマイ、詣(まい)り墓をオガミバカ、セキトウバなどと呼称しているが、和歌山県にも同様の墓制があり、紀州との交渉を示すものである。[高木啓夫]

民話

四国地方の口承資料は、昭和10年代の『西讃岐昔話集』や『阿波祖谷(あわいや)山昔話』が古い。そして、そのころの収集をのちに増補改訂した『土佐昔話集』も比較的時期の早い伝承を記録している。
 四国地方には笑い話が多い。そして民話の優れた語り手は、四国では男性に偏っている。ほとんどの場合炉辺で客を接待し相手になるのが男性であったといい、また村寄合や山の仕事宿で、男たちの集団が歴史的に語りを維持してきた。四国の昔話が笑話化される著しい現象は、こうした習慣や暮らしのあり方に直結するものであろう。この地方の語りは世間話化されて定着し、実在の人物の滑稽(こっけい)な所作(しょさ)と結び付いて伝えられているのが、おおよその姿といえる。
 四国には昔話の主人公が実存する例が多い。ときにはその人物が、同時に語り手であったりする。土佐の泰作(たいさく)ばなしはその典型的な例である。泰作には子孫があり墓地も実在する。さかな屋、塩売り、木綿売りとして泰作の名は行商の先々で、人々をたぶらかしたり、機知を発揮する人物として四国各地に残っている。こうした世間師を土地人はテンクロといった。ほかにも半七、与八、キザさん、米蔵などの人物が笑い話に登場する。これらの人々に共通するのは、行商人、農家の奉公人や駄賃取りの仕事をしていることである。
 四国はお遍路さんの地として、長い間巡礼や諸国修行者を受け入れてきた。それらの人々が運んだ伝承が定着する例も多い。四国八十八か所の寺のなかには、昔話が寺社縁起になっている場合もある。それらのなかでは、宝手拭(てぬぐい)、炭焼長者、猫檀家(だんか)などが知られている。また海に面する土地では、潮待ち、風待ちの船人を遇してきた歴史がある。瀬戸内には、江戸時代の北前船が残していった話もみられる。[野村純一]
『大明堂編集部編『新日本地誌ゼミナール6 中国・四国地方』(1987・大明堂) ▽『風土記日本2 中国・四国編』(1960・平凡社) ▽『日本の地理6 中国・四国編』(1962・岩波書店) ▽日本地誌研究所編『日本地誌18巻 四国地方』(1981・二宮書店) ▽『図説日本文化地理大系3 四国』(1961・小学館) ▽山本大・田中歳雄著『四国の風土と歴史』(1977・山川出版社) ▽網野善彦ほか編『日本民俗文化大系 全14巻・別巻1』(1994・小学館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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