明治時代の官僚政治家。初名は高富,高春,通称は三四郎。土佐藩士の家に生まれ,国学を学び,剣術を修めて江戸に遊学,早くから尊王攘夷論に共鳴した。1866年(慶応2)藩命を帯びて筑前太宰府に出張して情勢を視察,翌年は大目付として長崎に出張,坂本竜馬と提携して国事を周旋,戊辰戦争がおこると長崎奉行所を支配し,68年(明治1)には長崎府判事となった。70年参議,71年には司法大輔となり岩倉使節団に随行して欧米の司法制度を視察して帰国,征韓論争,西南戦争にも政府内にとどまり,78年の大久保利通死後は元田永孚らとともに天皇親政運動を推進,明治14年の政変(1881)後,参議兼工部卿となり,88年枢密顧問官,また皇太子の御養育之任を務めるなど,宮廷に近侍した。
執筆者:宇野 俊一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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