改訂新版 世界大百科事典 「佐野政言」の意味・わかりやすい解説
佐野政言 (さのまさこと)
生没年:1757-84(宝暦7-天明4)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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江戸後期の中級幕臣。通称善左衛門(ぜんざえもん)。1773年(安永2)家を継ぎ、77年大番、78年新番の番士となる。84年(天明4)3月24日、昇進のために贈った賄賂(わいろ)などに絡む私憤から、江戸城中で若年寄田沼意知(たぬまおきとも)に刃傷(にんじょう)したと世上いわれるが(政治的暗殺とみる噂(うわさ)もある)、史料的な裏づけがない。幕府の吟味書(政言の取調べ書)によると、乱心して衝動的に刃傷に及んだのが真相らしい。意知の死により、政言は改易切腹となり、江戸浅草徳本寺に葬る(同寺の過去帳によると、政言は「まさつね」と読む)。折から米価が下落し、田沼政権への反発と重なって、世人は政言を「佐野大明神(後年には世直し大明神)」とたたえた。妻の兄村上義礼は寛政(かんせい)期(1789~1801)の(江戸)町奉行(ぶぎょう)。
[山田忠雄]
1757~84.4.3
江戸中期の幕臣。父は政豊。善左衛門。1784年(天明4)3月24日,江戸城中で若年寄田沼意知(おきとも)に切りつけ,深手をおわせて死亡させたため,切腹した。動機は家来筋の田沼家が佐野家の系図・旗を奪ったことや,依怙贔屓,賄賂にかかわる怨恨というが,門閥譜代らによる政治的な暗殺との風評もあった。折からの江戸廻米による米価安定と田沼政権への嫌悪から,世直し大明神と世に騒がれた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…歌舞伎,浄瑠璃の一系統。1784年(天明4)江戸城内で佐野善左衛門(佐野政言)が若年寄田沼意知(おきとも)を刃傷,佐野が切腹した事件を扱った作品群。田沼親子の専横に民衆の反感は強く,佐野の墓所には世直し大明神の幟(のぼり)が奉納された。…
…もともとは,縁起直し,世の中の悪い状態を直すことを意味する語として,また地震,雷などを除ける呪(まじな)いの言葉として,17世紀末ごろから都市民の間で使われた言葉である。
[世直し大明神]
1784年(天明4)3月24日,新番組の旗本佐野善左衛門政言(まさこと)が,江戸殿中で当時権勢並ぶ者がないといわれた田沼父子のうちの田沼意知(おきとも)に斬りつけ,これがもとで意知は3月26日に死に,意知の父意次(おきつぐ)も急速に権勢を弱め,86年老中を免職となり,翌87年に減封された。…
※「佐野政言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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