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田沼意知 たぬまおきとも

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

田沼意知
たぬまおきとも

[生]寛延2(1749).江戸
[没]天明4(1784).4.2. 江戸
江戸幕府の若年寄。田沼意次の長男。明和1 (1764) 年1月 10代将軍徳川家治に仕え,天明1 (81) 年奏者番,同2年山城守に叙任し,同3年には若年寄に進んだ。父意次とともに江戸城中に権勢をふるい専横をきわめたが,同4年3月 24日江戸城中で新番士佐野善左衛門政言に切られて,まもなく死亡。政言が栄達を願って多大の賄賂を送ったが,意知が約束を履行しなかったためといわれる。

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百科事典マイペディアの解説

田沼意知【たぬまおきとも】

江戸中期の幕府若年寄老中田沼意次の子。1783年若年寄となり父子ともに幕政に専権を振るったが,1784年佐野善左衛門政言の恨みをかい,江戸城中で斬殺。
→関連項目ティチング

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田沼意知 たぬま-おきとも

1749-1784 江戸時代中期の武士。
寛延2年生まれ。田沼意次(おきつぐ)の長男。幕臣。山城守(やましろのかみ)。奏者番をへて天明3年若年寄となり,老中の父とならんで権勢をふるう。天明4年3月24日江戸城中で佐野政言(まさこと)に切りつけられ,それがもとで4月2日死亡した。36歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

田沼意知

没年:天明4.3.26(1784.5.15)
生年:寛延2(1749)
江戸中期の若年寄。幼名竜助のち大和守,播磨守,山城守。父は意次,母は黒沢定紀の娘。父の全盛期の天明1(1781)年に奏者番となり,次いで3年に若年寄となり,父子並んで幕閣に列した。翌4年3月24日江戸城から他の若年寄らと退出の途中,中の間で新番士佐野政言の傷害事件による深手の傷がもとで落命した。政言の私怨による刃傷とされるが根拠の史料が怪しく,幕府の吟味書では乱心の仕業と考えられる。若年寄在任が短かったので意知の政治的力量のほどは不明だが,意次の次期後継者として父の期待をになった有能な人物だったようである。

(山田忠雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

たぬまおきとも【田沼意知】

1749‐84(寛延2‐天明4)
江戸中期の若年寄。田沼意次の次男で,意次とともに田沼政治を展開した。奏者番を経て1783年(天明3)には若年寄となったが,その翌年の3月24日,江戸城中で退去しようとしていたところを佐野政言(まさこと)に切りつけられ,それがもとで3月26日死んだ。この事件は田沼政治に反感をつのらせつつあった人々に歓迎され,とくに田沼と有力商人との結合に批判的であった都市民に喜ばれ,田沼時代終息の端緒となった。【佐々木 潤之介】

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大辞林 第三版の解説

たぬまおきとも【田沼意知】

1749~1784) 江戸中期の幕臣。意次の長男。父とともに幕閣に重きをなしたが、江戸城中で佐野善左衛門政言に斬られ死亡。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

田沼意知
たぬまおきとも
(1749―1784)

江戸後期の若年寄。寛延(かんえん)2年に当時小姓(こしょう)組番頭(のち老中)だった意次(おきつぐ)の嫡男に生まれる。1781年(天明1)部屋住(ずみ)のまま奏者番(そうじゃばん)、82年山城守(やましろのかみ)となり、83年11月若年寄に昇進し廩米(りんまい)五千俵を賜る。意次の老中とともに父子並んで同時に幕閣の中枢を握って、田沼政治の権勢を誇った。84年3月24日、江戸城中において新番の佐野政言(まさこと)(善左衛門)に突然斬(き)りつけられ、その傷がもとで4月2日死亡した。36歳。短い在任期間のために政治上目だった業績はないが、当時長崎のオランダ商館長だったイサーク・ティチングは、意知を斬新(ざんしん)的な政治家だとし、彼にまつわる「開国の噂(うわさ)」を伝えて、その横死を惜しんだ。[山田忠雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の田沼意知の言及

【田沼時代】より

…18世紀後半,田沼意次(おきつぐ)・意知父子が幕政の実権を掌握していた時代をいう。1760年(宝暦10)大岡忠光の死から,86年(天明6)意次の老中免職に至る約27年間がこれに当たる。この時代は幕藩制を解体に導く経済的・社会的・文化的要因が一斉に急速に展開し,それらの危機的状況に幕府や藩が政治的に対応しなければならなくなった時代であった。そのことによって,この時代は,幕藩制の転換期とも,維新変革の起点の時期とも呼ばれる。…

【世直し】より

…もともとは,縁起直し,世の中の悪い状態を直すことを意味する語として,また地震,雷などを除ける呪(まじな)いの言葉として,17世紀末ごろから都市民の間で使われた言葉である。
[世直し大明神]
 1784年(天明4)3月24日,新番組の旗本佐野善左衛門政言(まさこと)が,江戸殿中で当時権勢並ぶ者がないといわれた田沼父子のうちの田沼意知(おきとも)に斬りつけ,これがもとで意知は3月26日に死に,意知の父意次(おきつぐ)も急速に権勢を弱め,86年老中を免職となり,翌87年に減封された。この政言の殿中での刃傷(にんじよう)は私憤によるものであったが,当時田沼政治に強い不満をもっており,とくに賄賂(わいろ)政治を不正であると考えるに至っていた江戸市民の強い関心を引いた。…

※「田沼意知」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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