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俵国一 たわらくにいち

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

俵国一
たわらくにいち

[生]明治5(1872).2.28. 島根
[没]1958.7.30. 鎌倉
金属工学者。東京帝国大学卒業 (1897) 後,同助教授,ドイツに留学 (99) ,冶金学を研究,帰国後教授となり,冶金学講座を開設した。日本刀研究の権威で,1921年帝国学士院賞,46年文化勲章を受け,51年文化功労者に選ばれた。 57年退官。日本学士院会員,鉄鋼協会その他学会などの指導的地位にあった。著書に『鉄と鋼』『古来の砂鉄製鉄法』などがある。

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デジタル大辞泉の解説

たわら‐くにいち〔たはら‐〕【俵国一】

[1872~1958]金属学者。島根の生まれ。ドイツに留学後、日本の金属組織学を確立。また、砂鉄精練法などの技術史的研究でも活躍。文化勲章受章。

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百科事典マイペディアの解説

俵国一【たわらくにいち】

冶金学者。島根県生れ帝国大学工科大学卒業後1899年から3年間ドイツに留学。帰国後東京帝国大学教授に任命され,冶金学講座を開設,金属顕微鏡を導入して金属組織学を開拓,日本刀の研究,砂鉄の利用研究などで業績を上げた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

俵国一 たわら-くにいち

1872-1958 明治-昭和時代の金属工学者。
明治5年2月28日生まれ。俵孫一の弟。ドイツに留学後東京帝大教授となる。大型金属顕微鏡を導入して金属組織学を確立し,日本刀,古来の砂鉄製錬法などを研究した。日本鉄鋼協会会長。昭和21年文化勲章。昭和33年7月30日死去。86歳。島根県出身。帝国大学卒。著作に「日本刀の科学的研究」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

たわらくにいち【俵国一】

1872‐1958(明治5‐昭和33)
日本刀の製法・金属組織をはじめて科学的に解明した冶金学者。島根県浜田の農家に生まれ,第一高等中学校より帝国大学工科大学へ進み,1897年採鉱冶金学科を卒業。助教授となり,99年より3ヵ年ドイツのフライベルク鉱山大学で鉄冶金学を勉学。帰国後,直ちに東京帝国大学教授に任ぜられ,工学部冶金学科鉄冶金講座を担当した。1903年ドイツから金属顕微鏡を輸入し,金属組織学,とくに鉄鋼の熱処理組織の理論,実験法を国内に普及した。

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大辞林 第三版の解説

たわらくにいち【俵国一】

1872~1958) 冶金学者。島根県生まれ。東大教授。日本古来の製鉄法や日本刀の科学的研究を行なった。主著「日本刀の科学的研究」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

俵国一
たわらくにいち
(1872―1958)

鉄冶金(やきん)学者。明治5年、島根県浜田に生まれる。1897年(明治30)帝国大学工科大学(現、東京大学工学部)採鉱冶金学科卒業。ドイツのフライベルク鉱山大学留学を経て1902年(明治35)母校の教授に就任、以来1932年(昭和7)の停年退官まで鉄冶金学講座を担当した。この間、工学部長にも選ばれ、総合的な科学としての工学の研究、教育活動に尽くした。日本に初めて大形金属顕微鏡を導入して金属組織学の方法を確立し、東北帝国大学の本多光太郎に協力して金属工学の発展に寄与したほか、古来の砂鉄製錬法ならびに日本刀の科学的研究など、技術史分野の開拓で知られている。1921年(大正10)帝国学士院賞、1946年(昭和21)文化勲章を受けた。[飯田賢一]

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