鉄冶金(やきん)学者。明治5年、島根県浜田に生まれる。1897年(明治30)帝国大学工科大学(現、東京大学工学部)採鉱冶金学科卒業。ドイツのフライベルク鉱山大学留学を経て1902年(明治35)母校の教授に就任、以来1932年(昭和7)の停年退官まで鉄冶金学講座を担当した。この間、工学部長にも選ばれ、総合的な科学としての工学の研究、教育活動に尽くした。日本に初めて大形金属顕微鏡を導入して金属組織学の方法を確立し、東北帝国大学の本多光太郎に協力して金属工学の発展に寄与したほか、古来の砂鉄製錬法ならびに日本刀の科学的研究など、技術史分野の開拓で知られている。1921年(大正10)帝国学士院賞、1946年(昭和21)文化勲章を受けた。
[飯田賢一]
日本刀の製法・金属組織をはじめて科学的に解明した冶金学者。島根県浜田の農家に生まれ,第一高等中学校より帝国大学工科大学へ進み,1897年採鉱冶金学科を卒業。助教授となり,99年より3ヵ年ドイツのフライベルク鉱山大学で鉄冶金学を勉学。帰国後,直ちに東京帝国大学教授に任ぜられ,工学部冶金学科鉄冶金講座を担当した。1903年ドイツから金属顕微鏡を輸入し,金属組織学,とくに鉄鋼の熱処理組織の理論,実験法を国内に普及した。13-24年に日本刀の製法・金属組織について研究,1921年帝国学士院賞を得た。また砂鉄を原料とする日本古来のたたら製鉄法を解明した。この間,日本鉄鋼協会の創立(1915)に尽力し,第4代,第6代会長となった(1922,30)。32年東大を定年退官後,日本学術振興会第19(製鋼研究),第54(製鉄研究)委員会を主宰し,工場の現場技術を科学的方法で解明・研究する技術者・科学者の協同研究を指導し,幾多の成果を挙げて日本の製銑・製鋼技術の発達に寄与した。46年文化勲章。51年文化功労者。
執筆者:原 善四郎
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明治〜昭和期の冶金学者 東京帝大名誉教授。
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