日本大百科全書(ニッポニカ) 「琴浦」の意味・わかりやすい解説
琴浦(町)
ことうら
鳥取県東伯(とうはく)郡にある町。2004年(平成16)東伯郡の東伯、赤碕(あかさき)の2町が合併して成立。県中央部西寄りに位置し、北は日本海に臨む。町の南部には大山(だいせん)の支峰、烏(からす)ヶ山(1448メートル)、矢筈(やはず)ヶ山(1358メートル)、勝田(かつた)ヶ山(1149メートル)、船上(せんじょう)山(616メートル)などが聳(そび)え(大山隠岐国立公園の指定域)、これらを水源として黒川、勝田川、八橋(やばせ)川、洗川、加勢蛇(かせいち)川などが日本海に向けて北流する。集落は海岸平野部を中心に発達し、各河川沿いに開けた平地にも点在する。海沿いにJR山陰本線、国道9号が通じる。新町名はかつて町域の海岸部が「琴ノ浦」とよばれたことに由来。県下有数の農畜産業地帯で、農業は各河川流域の平地で稲作、山麓台地で二十世紀ナシを中心とした果樹栽培が盛ん。酪農は第二次世界大戦後に県の先進地帯となり、現在、県下全域の酪農家で組織される大山乳業農業協同組合の本工場が保(ほう)にある。また、松谷(まつだに)に県畜産試験場、出上(いでかみ)には家畜改良センター鳥取牧場がある。昭和30年代から旧東伯町では芝の栽培が盛んとなり、東伯芝組合を中心に発展した鳥取県芝生産組合が町北東部の中尾(なかお)に所在。赤碕漁港は鳥取県中部の中核的漁港で、トビウオやブリなどの水揚げが多い。加勢蛇川東岸の丘陵に位置する斎尾廃寺跡(さいのおはいじあと)は、七世紀後半の建立と推定される寺院跡。いわゆる法隆寺式の伽藍配置で、国指定特別史跡。船上山は古くは修験の行場で、頂上部は薄ヶ原(すすきがはら)と称される。1333年(元弘3)隠岐を脱出した後醍醐天皇を伯耆国の豪族名和長年が船上山上に奉じている(船上山行宮跡の名称で国指定史跡)。宮場(みやば)の春日神社境内にあるスダジイは、全国有数のシイの巨木で、伯耆の大シイの名称で国の天然記念物。加勢蛇川上流部の地獄谷は大山滝など多くの滝がかかり、川に並行して中国自然歩道が整備されている。面積139.97平方キロメートル、人口1万6365(2020)。
[編集部]