玉島(読み)タマシマ

デジタル大辞泉 「玉島」の意味・読み・例文・類語

たましま【玉島】

岡山県南西部、倉敷市の地名。近世、瀬戸内海高梁川の商業港として発展。旧玉島市。繊維・機械工業などが盛ん。

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精選版 日本国語大辞典 「玉島」の意味・読み・例文・類語

たましま【玉島】

  1. [ 一 ] 岡山県倉敷市の地名。旧玉島市。高梁(たかはし)川の河口付近を占め、江戸時代は瀬戸内海航路の要港として繁栄。明治以後は紡績工業の都市となり、第二次世界大戦以後は海面の埋め立てが進み、水島臨海工業地帯の一部となる。良寛が二〇年間修行した円通寺がある。昭和二七年(一九五二)市制。同四二年倉敷市に合併。
  2. [ 二 ] 佐賀県唐津市近辺の古地名。
  3. [ 三 ] 高知県の浦戸湾中央にある小島巣山

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日本歴史地名大系 「玉島」の解説

玉島
たましま

歌枕。歌学書「五代集歌枕」「八雲御抄」にみえる。「万葉集」巻五の「遊於松浦河序」の連作のうちに、

<資料は省略されています>

などの歌がある(→玉島川。「玉島の浦」と詠まれることから、古くはこの辺りまで海であったことが考えられる。ほかに次のような歌がある。

<資料は省略されています>

この地を流れる玉島川で、神功皇后が鮎を釣った伝えが「肥前風土記」や記紀にみえるが、「古事記」は次のように記す。

<資料は省略されています>

この「礒」は「肥前風土記」「日本書紀」では「石」と記され、現在垂綸石すいりんせき(また皇后石・紫台しだい石ともいう)と称して皇后がそこに坐して鮎釣をしたという石が残る。

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改訂新版 世界大百科事典 「玉島」の意味・わかりやすい解説

玉島 (たましま)

瀬戸内海に注ぐ高梁(たかはし)川の河口にある港町で,岡山県倉敷市に属す。この一帯は近世初頭までは海が湾入し,南に乙(おと)島,柏島が浮かんでいたが,高梁川の沖積作用と干拓によって陸繫化した。1642年(寛永19)松山(現,高梁市)に封ぜられて乙島・柏島を領した水谷(みずのや)勝隆が地先海面の干拓をすすめ,46年(正保3)から75年(延宝3)にかけて,勇崎,玉島,勇崎外,勇崎押山などの諸新田が完成,港もしだいに整備され,玉島港は高梁川流域の米,綿などを移出し,また西国航路の要港として,北海産の干鰯(ほしか),鰊粕(にしんかす)などを移入して繁栄した。しかし江戸末期には水深が浅くなって港の機能が衰え,1891年山陽鉄道が中心街を離れて開通し,港町の役割をいっそう低下させた。1952年玉島市として市制を施行したが,67年倉敷市に合体。1960年には重要港湾水島港玉島港区となり,75年山陽新幹線の新倉敷駅が設置された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉島」の意味・わかりやすい解説

玉島
たましま

岡山県南西部、倉敷市の一地区。旧玉島市(1952市制)。高梁(たかはし)川右岸河口部にあり、高梁川の沖積作用と江戸時代からの干拓により水田地域が形成され、かつての島々は陸繋(りくけい)された。玉島港は近世には高梁川水運と瀬戸内海航路の結節点として発達したが、明治の鉄道開設で港湾機能は衰えた。明治時代には県の紡績工業の一中心となり、第二次世界大戦中には工業用地として海岸が埋め立てられ、現在は水島臨海工業地域の一部となっている。埋立地南端の玉島ハーバーアイランドは国際物流拠点として整備が進められている。円通寺は良寛が十数年修行したところで、寺域一帯は県指定名勝の円通寺公園になっている。JR東海道・山陽新幹線新倉敷駅、山陽自動車道玉島インターチェンジが市街地北方にある。

[由比浜省吾]


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百科事典マイペディア 「玉島」の意味・わかりやすい解説

玉島【たましま】

岡山県倉敷市の一地区。1952年市制の旧市で,1967年倉敷市と合併。高梁(たかはし)川河口部を占め,市街は流域の物資集散地,西国航路の港として発展,明治中期以降繊維工業が盛んであった。水島を中心とする工業地域の西の拠点になっている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「玉島」の意味・わかりやすい解説

玉島
たましま

岡山県南部,倉敷市西部の地区。旧市名。 1967年倉敷市と合体。寛永年間 (1624~43) に築港され,高梁 (たかはし) 川流域の備中松山藩 (現在の高梁) の外港,西国航路の港町として繁栄。高梁川との間は高瀬通しと呼ばれる運河で結ばれていた。周辺では,江戸時代に多くの新田が干拓され,製塩が行われた。明治以降は綿紡績工業が発達。以後,重化学工業が進出し,現在は水島臨海工業地域の一部。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉島」の解説

玉島 たましま

1820-1905 幕末の女官。
文政3年11月生まれ。少納言山根輝昌の娘。安政3年和宮(かずのみや)の中臈(ちゅうろう)となり,のち上臈。降嫁する和宮にしたがい江戸にいく。戊辰(ぼしん)戦争のとき和宮の江戸総攻撃中止の要請を岩倉具定(ともさだ)につたえた。明治38年7月19日死去。86歳。京都出身。日記に「和宮上臈玉島日記」。

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