八王子市の南西部に位置する山。標高五九九・二メートル。関東山地の南東端にあたり、山頂部を中心とした一帯は明治の森高尾国定公園で、また
古代以来信仰のあつい山で、山頂部に天平一六年(七四四)行基開創と伝える
高尾山は近世をとおして新義真言宗の山城醍醐寺
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都八王子市南西部,関東山地東縁に位置する山。標高599m。中生代の小仏(こぼとけ)層の粘板岩,砂岩などからなる。山頂は展望にすぐれ,野鳥や昆虫が多く,タカオワニグチソウ,タカオメダカカマキリなど,この山特有の動植物もあり,東京近郊としては自然に恵まれた山で登山者が多い。小仏峠から景信(かげのぶ)山,陣馬山へは裏高尾縦走路が通じ,ハイキングコースとして人気がある。1967年に明治百年を記念して〈明治の森高尾国定公園〉に指定された。大阪府の〈明治の森箕面(みのお)国定公園〉と結ぶ東海自然歩道の起点にあたる。また,自然研究路と名付けられた六つの登山道がある。山麓には自然科学博物館(2004年閉館),山頂には自然動物センター(現,高尾山サル園・野草園)がある。京王電鉄高尾線高尾山口駅からケーブルカー,リフトが通じる。
執筆者:徳久 球雄
山頂近くには,天平年間(729-749)に行基が開創したと伝えられる薬王院有喜(うき)寺(真言宗智山派)がある。1376年(天授2・永和2)に俊源が中興し,飯縄(いいづな)権現を勧請して以来,当山(とうざん)派修験の道場として栄えた。中世には上杉氏はじめ戦国武将の信仰を集めたが,とくに後北条氏は八王子城を築城後に戦略上の要地として高尾山を保護した。薬王院は近世には関東一円に信者100万と称され,成田山新勝寺,川崎大師平間(へいげん)寺とともに真言宗関東三山の一つとされた。また高尾山には後北条氏の時代に富士浅間神社が勧請され,とくに近世中期以後は富士講の隆盛とともに,この山は関東,東北の富士講信者にとって重要な拝所ともなった。明治初年の神仏分離に際しては,神社関係の建物を破壊して寺院として存立をはかったため,今日でも社僧によっていっさいの山務が行われ,一見神仏混淆の様相を呈し,多くの修行者がいる。高尾山では火渡り祭(3月の第2日曜日)や水の行(ぎよう)など修法の山にふさわしい行事が伝わり,4月の滝開きから10月の滝じまいまで,峰の南と北にかかる琵琶滝と蛇滝は修行者でにぎわう。現在,高尾山には先達(せんだつ)とよばれる行者が数十名おり,関東一円の講中や信徒を回って家内安全,五穀豊穣などの配札を行ったり,病気の加持祈禱なども行っている。
執筆者:飯島 吉晴
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東京都八王子市の南西端、関東山地南東端に位置する標高599メートルの山。1950年(昭和25)都立高尾陣馬(じんば)自然公園、さらに1967年明治の森高尾国定公園に指定。東海自然歩道の起点でもある。全山鬱蒼(うっそう)とした木立(こだち)に覆われ、野鳥など動物の種類も多く、大都市に近接しながら深山幽谷を訪ねた思いがする。また、山頂の真言宗智山(ちさん)派大本山薬王院有喜寺(やくおういんゆうきじ)の人工美も、展望台、遊園地などの諸施設とともに、参詣(さんけい)・観光に訪れる人を多くしている。1967年京王帝都電鉄(現、京王電鉄)が新宿―高尾山口間に直通運転を開始したため、登山のケーブルカーとともに交通を至便にし、大都市近郊のレクリエーションの場とした。また、小仏(こぼとけ)峠や陣馬山、相模湖(さがみこ)方面へのハイキングコースとしてもにぎわうようになった。山麓(さんろく)には土産(みやげ)物店などがたくさん並んで門前町の景観をもなしている。自然公園法に基づく特別保護地区として自然美に恵まれた山と渓谷が、都心から容易に日帰りできる範囲にある例は、外国にもないといってよい。
[菊池万雄]
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