八重垣神社(読み)やえがきじんじや

日本歴史地名大系 「八重垣神社」の解説

八重垣神社
やえがきじんじや

[現在地名]松江市佐草町

馬橋まばし川の支流山口やまぐち川の両岸鎮座し、東岸に境内裏手にあたる西岸に奥院の森がある。祭神は素盞嗚命・稲田姫命、合祭神として大己貴命、相殿に青幡佐久佐日子命を祀る。旧県社。縁結びの神として知られる。社名は「古事記」に載る須佐之男命が詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」の歌にちなむといわれるが、本来当地には古代以来の佐久佐さくさ(佐草社)があり、これが戦国期に進出してきた八重垣神社に吸収されたという。

〔佐久佐社・佐草社〕

出雲国風土記」に意宇おう郡佐久佐社がみえ、同郡大草さくさ郷について「須佐乎命の御子、青幡佐久佐丁壮命坐せり。故、大草と云ふ」と記される。「延喜式」神名帳では意宇郡四八座のうちに佐久佐神社がみえる。佐久佐社は出雲国内でも著名な神社の一つで、仁寿元年(八五一)九月一六日に「青幡佐草壮丁命」として従五位下に(「文徳実録」同日条)、貞観七年(八六五)一〇月二八日に「佐草神」として従五位上に、同一三年一一月に正五位下に、元慶二年(八七八)三月三日に「青幡佐草壮丁神」として正五位上に神階を進めている(以上「三代実録」同日条)。神官を勤めたのは佐草氏で、天正一九年(一五九一)毛利氏に提出された佐草氏不知行付立や、宝暦一四年(一七六四)に記された上官系譜(ともに佐草家文書)などによると、佐草氏はスサノヲとイナダヒメとの仲立をしたことから佐久佐氏を称し、佐草さくさ社の神主として中古まで佐草村などを知行してきたという。

佐草氏の家系伝承には検討の余地があるが、佐草氏は一三世紀中頃以後に成立したと考えられる杵築大社(出雲大社)新嘗会の神事を上官として勤め、南北朝期に出雲国造家が分裂すると神魂かもす社を管轄する北島方についた(大社町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「八重垣神社」の意味・わかりやすい解説

八重垣神社
やえがきじんじゃ

島根県松江市佐草町八雲床に鎮座。素盞嗚尊(すさのおのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと)を主祭神とし、大己貴神(おおなむちのかみ)を配祀(はいし)し、相殿(あいどの)に青幡佐久佐日古命(あおはたさくさひこのみこと)を祀(まつ)る。本来の社名は『出雲国風土記(いずものくにふどき)』や『延喜式(えんぎしき)』にみえる佐久佐社であり、佐久佐日古命を祀っていたが、のちに合祀されたらしい八重垣社が中心になった。近世には藩主崇敬も厚く、現在は主祭神の神話にあやかり縁結びの神として信仰を集めている。旧県社。例祭10月20日。国重要文化財の板絵着色神像三面は、もと本殿内部の壁画であった。境内の鏡の池は、稲田姫命が八岐大蛇(やまたのおろち)の難を逃れたおり、飲料水として用い、姿を映したと伝える。

[平井直房]


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