改訂新版 世界大百科事典 「公方御料所」の意味・わかりやすい解説
公方御料所 (くぼうごりょうしょ)
室町幕府に経済的収益をもたらす所領および所職。当時の史料上に見える言葉で,今日的意味で厳密に使われているわけではない。〈料所幷預地〉と表現している例があり,この場合は直臣に預け置いた所領を料所と区別すべきものと考えていると見られる。また,酒屋,土倉よりの貢納銭である納銭方とか,白布棚,大刀屋座の公事銭なども料所と呼んでいるから,料所=直轄地と言い換えると誤解を生むことになろう。
さて,史料上に〈料所〉と記されている所領は現在までに約200ヵ所ほど指摘されている。しかし約40ヵ国に分散するこれらの料所は,蜷川家,大館家という遺存史料の特に多い2家にかかわるものが過半を占める。今後とも料所の所見は増えるであろうが,史料残存のこのような偏在性を考えると,その全貌に迫るのはおそらく不可能に近いであろう。とはいえ現在までに知られている料所に共通な部分も認めることができる。料所成立の事情から分類してみれば次のとおりとなる。(1)足利氏の本領 鎌倉時代末に足利氏が持っていた所領35ヵ所,建武期に恩賞として与えられた所領45ヵ所などが知られているが,このうちで15世紀初頭まで料所であったものは足利荘などごく一部であった。(2)闕所地(けつしよち) 戦乱時〈敵方与同〉などの事由により没収された所領は,いったん政所料所とされ,その後に恩賞地とか寄進地とするのが本来の体制であった。しかし被没収者の一族には申請により闕所地を優先的に給与する慣例が定着してきたり,守護の処分権が強くなる傾向があったから,料所として残るものはけっして多くはなかった。(3)半済地(はんぜいち) 1492年(明応1)近江国の寺社本所領を将軍の近衛兵である奉公衆の兵糧料として料所とした例のように,寺社本所領の何分の1かを料所としたことがある。しかしこれは臨時的措置と考えられる。(4)幕府の近臣とか寺社などが,外部勢力の侵害を防ぐ手段,荘園支配を円滑に行うための手段として,自己の所領を料所としてもらうことがあった。数からいえばこの例はけっして少なくない。このほか,京都市中における酒屋,土倉のように,幕府が座の本所的位置を占めている料所もある。
現在知られている料所の史料によれば,上に見たように,料所と呼ばれているものの実体は荘園的所職にほかならない。このことから,料所を将軍の経済的収益の源泉,将軍と直臣団を結びつける媒介として重視する見解がある一方で,料所に大きな意味を見るのは近世的直轄地体制の投影にすぎないとして,積極的評価を与えない見解が出されることになる。幕府側に料所設定についての政策が見られないことなども,この見解を補強するものとして挙げられている。将軍の経済生活とか,幕府直臣団の経済的基盤がいま少し解き明かされれば,これらの問題にも決着がつくであろう。
執筆者:桑山 浩然
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報