天皇の勅願で建立された寺,もしくは綸旨により勅願寺となった寺。勅願所ともいう。奈良時代の薬師寺,東大寺,国分寺,国分尼寺などの官寺,平安時代の天皇御願寺(ごがんじ)の系譜をひくもので,勅願寺の名称は中世以後である。早い例としては《吾妻鏡》文治4年(1188)9月3日条に勅願寺領年貢のことがみえ,金剛心院,蓮華王院の名があがるが,御願寺,勅願寺の明確な区別はみえていない。中世・近世を通じて各宗派の大寺や霊験所,足利尊氏・直義発願の安国寺をはじめ,有力武将建立の寺院などが勅願寺とされた。勅願寺には〈今上皇帝聖躬万歳〉〈聖寿万歳〉などの寿牌(先皇は位牌)を本尊のわきに安置し,天皇のための祈りがささげられた。1869年(明治2)浄土宗関東十八檀林を勅願所としたのを最後に,71年すべての勅願所と勅修法会は廃止された。
執筆者:西口 順子
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天皇の発願によって鎮護国家、皇室安全を祈るために建立された寺院、あるいはそのために指定された既存の寺院。御願寺(ごがんじ)、勅願所とも称される。勅願寺の初めは、聖徳太子が創建し舒明(じょめい)天皇・天武(てんむ)天皇が移転改称にかかわった奈良大安寺(だいあんじ)とされる。奈良時代にはほかに文武(もんむ)天皇の薬師寺、聖武(しょうむ)天皇の東大寺、同じく聖武天皇の勅願により741年(天平13)に諸国に建立された国分寺・国分尼寺などがある。平安時代の創建にかかるものでは桓武(かんむ)天皇の東寺(とうじ)・西寺(さいじ)・延暦寺(えんりゃくじ)、嵯峨(さが)天皇の大覚寺、光孝(こうこう)天皇の仁和寺(にんなじ)、醍醐(だいご)天皇の醍醐寺などがあり、鎌倉時代には亀山(かめやま)天皇の南禅寺がある。なお、既存の寺院でも勅願寺に定められることによって権威を誇示しようとして、それを定める綸旨(りんじ)を求める寺が少なくなかった。勅願寺の制は1871年(明治4)に廃止されるまで存続された。
[廣瀬良弘]
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