福岡県北東部、関門海峡から洞海湾(どうかいわん)の奥にかけて東西約30キロメートルにわたり北九州市臨海部に広がる工業地帯。その範域については北九州市を中心に、福岡市、久留米(くるめ)市、大牟田(おおむた)市から山口県西部まで拡大したり、北部九州全域をあてたりする場合もあるが、北九州市の範域に限定するのがもっとも一般的かつ狭義の定義である。
その立地条件としては筑豊炭田(ちくほうたんでん)の存在がもっとも大きく、その石炭と中国大陸の鉄鉱石を利用して官営八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)(現、日本製鉄九州製鉄所八幡地区)が建設されたことが、その後の諸工場立地の有利な条件となった。しかし、筑豊炭田の衰退、素材工業への偏りが、近年では新しい工場立地にとって有利とはいえず、工業地帯としての地位は低下している。
成立過程をみると、明治中期の筑豊炭田の本格的開発と、石炭輸送港である門司(もじ)・若松(わかまつ)両港の整備とがその発端となった。その後、日清(にっしん)戦争後の鉄鋼自給政策に基づく官営八幡製鉄所が1901年(明治34)操業を開始してから本格的な工業化が進展し始めた。製鉄所の相次ぐ拡張に伴い、製鉄所に直結した耐火れんが・コークス・化学・鉄鋼・セメントなどの生産財生産を中心とした関連工場や、炭鉱向けの機械・電気機器工業、さらには食料品・木材などの消費財工業も発達し、第一次世界大戦ごろには工業地帯の輪郭が完成、四大工業地帯の一つとしての地位を築いた。第二次世界大戦により大きな打撃を受けたが、鉄鋼業を中心に朝鮮戦争を機に復興を遂げて現在に至っている。
本工業地帯の特徴は、鉄鋼業を中心とする素材型の重化学工業が卓越していることで、しかもそれらが国家や中央資本の投下による特定大工場を中心に展開されたため、地元資本による企業の成長が遅れ、先進工業地帯に対する原料素材の供給基地的性格が強い。北九州市の製造品出荷額の過半が、新日鉄住金(現、日本製鉄)、三菱(みつびし)化学(現、三菱ケミカル)、新日鉄住金化学(現、日鉄ケミカル&マテリアル)など数社によって占められていることからもその特徴がよくわかる。2006年(平成18)における北九州市工業の状況をみると、工場数1172工場、従業者数5万0140人、製造品出荷額1兆8413億円で、全国出荷額の0.6%を占める。その内訳は、鉄鋼業が工場数で6.0%、従業者数で16.3%、製造品出荷額で40.2%となり、以下化学工業がそれぞれ3.4%、5.8%、11.2%、一般機械工業が14.2%、13.8%、11.7%と、重化学工業の比重が高く、かつ大企業の多いことが示される。
本工業地帯の全国における位置づけをみるために福岡県の出荷額をみてみると、1935年(昭和10)には全国出荷額の8.2%を占めていたが、第二次世界大戦後その比重は低下し、1950年(昭和25)に5.6%、2006年には2.6%となり、福岡県出荷額に占める北九州市の比重も23.7%と低下してきた。これは、エネルギー革命によって筑豊炭田が衰退したこと、中国貿易の途絶、素材型工業への偏重のために加工型の機械工業が不振であったこと、用地・用水・輸送などの産業基盤が悪化したことなどが原因である。1963年に実現した5市合併も、このような工業地帯の停滞を解消することが目的の一つであった。
産業基盤整備のために周防灘(すおうなだ)側の新門司臨海工業用地508ヘクタールと、響灘(ひびきなだ)臨海工業用地1387ヘクタールが埋め立てられたが、新規企業の立地はさほど進んでいない。なお従来洞海湾沿岸を中心に大気汚染が進み喘息(ぜんそく)患者が多く、洞海湾も「死の海」といわれるほど水質汚濁が著しかった。そのほか騒音、振動、悪臭などの公害が激しかったが、近年では防止対策が行われ、改善が進行してきた。主要工場の分布をみると、臨海部に集中し門司区にはニッカウヰスキー、関門製糖、小倉北区にはTOTO、日本製鉄九州製鉄所八幡地区(小倉)、戸畑区には日本製鉄九州製鉄所八幡地区(戸畑)、日鉄ケミカル&マテリアル、日本水産、八幡西区には三菱ケミカル、安川電機、三菱マテリアル、黒崎播磨(はりま)、若松区には日立金属若松などの大企業の工場が多数立地している。
[石黒正紀]
福岡県北東部,北九州市の臨海部にある工業地帯。関門海峡から洞海湾の奥まで東西約30kmに及ぶ。範囲については広狭種々の考え方があるが,上記は最狭義かつ最も普通の用法である。日清戦争後の鉄鋼自給政策で官営八幡製鉄所(現,新日本製鉄八幡製鉄所)が建設(1901操業開始)されてから,この地域は急激に工業化した。一漁村にすぎなかった八幡が製鉄所建設地に選ばれたのは,中国からの鉄鉱石と背後の筑豊の石炭とを結びつけるのに好適な洞海湾岸に位置していたからである。製鉄所の相次ぐ拡張にともなって耐火煉瓦,コークスと廃ガス利用の化学,金属などの関連工業や筑豊の炭鉱向けの機械,電機工業が発達し,また増加する都市人口を対象に製粉,製糖,油脂などの食品工業もおこり,豊富な石灰岩と石炭を利用して早くから発達していたセメント工業などとともに第1次大戦ごろには工業地帯の輪郭を形成した。この工業地帯の特徴は,鉄鋼,化学などの重化学を主とする素材生産が卓越し,日用消費財や完成品部門の発達が不十分なことである。圧倒的な生産力をもつ主として中央財閥系の少数の巨大工場と,多くはその下請関係にある多数の中小零細工場からなり,1工場当りの従業者数や出荷額は京浜や阪神の工業地帯のそれより多いが,地元資本の中堅企業は少ない。北九州工業地帯が主力をなす福岡県の工業出荷額は1935年に全国の8.3%(県別で4位)を占めていたが,第2次大戦後は国際関係の変化や石炭から石油へのエネルギー転換なども影響して比重が低下し,80年には2.7%(11位)に落ち(1994年2.6%,12位),かつての四大工業地帯の地位を完全に失った。近年は若松の響(ひびき)灘に面した地区や門司などの周防灘に面した地区で大規模な臨海工業用地の造成が続けられる一方,工業地帯は旧産炭地の筑豊内陸部へも広がりつつある。とくに1976年に南隣の苅田(かんだ)町の埋立地で日産,92年筑豊の宮田町(現,宮若市)でトヨタの二大自動車工場が相次いで操業を開始し,自動車は県の主力産業の一つになってきた。
執筆者:土井 仙吉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新