医光寺(読み)いこうじ

日本歴史地名大系 「医光寺」の解説

医光寺
いこうじ

[現在地名]益田市染羽町

益田川が曲流する右岸にあり、滝蔵山と号し、臨済宗東福寺派。本尊は薬師如来。貞治二年(一三六三)斎藤長者の妻直山妙超大姉の発願により、天台宗崇観すうかん寺の塔頭として創建されたといわれる(東福寺誌)。永徳三年(一三八三)八月一〇日の益田祥兼置文条々(益田家文書)のなかで、祥兼(兼見)万福まんぷく寺や崇観寺などと並べて、当寺以下の小庵も大切に保護するよう定めており、当寺は創建当時から益田氏の崇敬を集めていたと考えられる。しかし南北朝から室町期にかけての益田氏のおもな崇敬の対象はやはり崇観寺であり、置文にも「崇観寺者、祥兼申成諸山烈、殊当家可申賞翫寺也」と定められ、当時における益田氏の氏寺の位置を占めた。


医光寺
いこうじ

[現在地名]黒保根村上田沢

上田沢かみたざわの通称涌丸わくまるにある。涌丸山と号し高野山真言宗、本尊千手観音(室町末期作)。空海開創を伝え、寺蔵の保延元年(一一三五)一〇月一〇日の年紀をもつ鈴杵銘にみえる永厳(保寿院流開祖)は医光寺第六世と伝える。また永厳を中興の祖ともいう。客仏として銅製虚空蔵菩薩坐像(県指定重要文化財)安置。この虚空蔵像は赤城山小沼この(現富士見村)付近の小地蔵こじぞう(虚空蔵岳)に祀られていたもので、堂舎が壊れたため第二次世界大戦後当寺に運ばれた。永禄元年(一五五八)の年紀があり、銘文中に「小(沼カ)本地虚空蔵菩薩」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「医光寺」の意味・わかりやすい解説

医光寺
いこうじ

島根県益田(ますだ)市染羽(そめば)町にある臨済宗東福寺派に属する寺。山号は滝蔵山(りゅうぞうざん)。1363年(正平18・貞治2)、斎藤長者の妻が創建した崇観寺(そうかんじ)の境内に、益田宗兼が当寺を建立したところ、崇観寺にかわって栄えた。開山は東福寺開山聖一国師(しょういちこくし)(円爾(えんに)弁円)の法孫、龍門士源(りゅうもんしげん)。画聖雪舟(せっしゅう)が第5世住職を務めた。享保(きょうほう)年間(1716~1736)に堂宇を焼失したが、その後再建され、現在は本堂開山堂、総門(県指定文化財)のほか数棟を数える。雪舟作の庭園は池泉観賞式庭園で、国の史跡・名勝に指定されている。寺宝に薬師三尊像(鎌倉後期、伝安阿弥(あんあみ)作)、松江水墨山水図(雪舟筆)、芦雁(ろがん)図(雪村(せっそん)筆)などがある。

[大鹿実秋]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

グレーゾーン解消制度

個々の企業が新事業を始める場合に、なんらかの規制に該当するかどうかを事前に確認できる制度。2014年(平成26)施行の産業競争力強化法に基づき導入された。企業ごとに事業所管省庁へ申請し、関係省庁と調整...

グレーゾーン解消制度の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android