千戸制(読み)せんこせい(その他表記)mingghatu

改訂新版 世界大百科事典 「千戸制」の意味・わかりやすい解説

千戸制 (せんこせい)
mingghatu

千戸基礎として形成されていたモンゴル帝国の制度。千戸(ミンガンmingghan)は10の十戸(アルバンarban)を含む10の百戸(ジャグンjaghan)から成る。十進法に基づく軍事行政組織匈奴の時代から北方民族の間に存在した。チンギス・ハーンはすでにナイマン部征討に先立ち千戸を組織したが,1206年のモンゴル帝国建国クリルタイにおいて本格的にこれを組織し,帝国の軍事・行政組織の基礎とした。このとき95の千戸がつくられ88人の千戸長が任命された。千戸長には1人で複数の千戸を統轄したものがおり,またボオルチュやムハリなどのように功業の著しく大きな者は万戸(トゥメンtümen)の長に任ぜられた。

 千戸とは約1000のアイルail(財産所有単位である家族)からなり,1000人までの軍隊を提出しうる集団であったらしい。戦争以外にも国家的規模の巻狩りの場合には狩猟用員を提供しなければならなかったし,また千戸長は百戸長,十戸長とともにみずからの子弟ハーン親衛隊に差し出した。千戸長は,身分的に百戸長,十戸長とともに世襲であり,領地を有して領主として百戸長を通じて自己の領民を支配した。千戸制確立のねらいと意義は,チンギス・ハーンが旧来の崩壊しつつあった氏族制を国制の基礎とせず,建国の過程で彼が最も信頼し,その増員と養成に努めたノクル(従者)を新国家の柱石とするため千戸を組織し,功業に対する恩賞としてその長にすえ,同時にみずからの権力の強化と浸透を図ったことに求められる。千戸の数は帝国の拡大とともにその後しだいに増加した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「千戸制」の解説

千戸制(せんこせい)
mingghatu

モンゴル帝国成立に際して,チンギス・カンは統合した諸部族を軍事・行政組織の基礎として再編成,千戸制を確立した。千戸とは約1000のアイル(財産所有単位である家族)からなり,1000人までの軍隊を提供しうる集団と考えられる。全体を95千戸に分け,その下に百戸,十戸を置く10進法編成であり,その淵源は匈奴(きょうど)の時代にさかのぼる。千戸長は百戸長,十戸長とともに功業に対する恩賞として任命され,その子弟をカンの親衛隊に差し出した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「千戸制」の解説

千戸制
せんこせい

モンゴルのチンギス=ハンが組織した軍事・行政制度
旧来の氏族制に代わる軍事・行政の基礎として組織された。チンギス=ハンは,支配下の遊牧民族を95の千戸集団に分け,それを百戸・十戸の単位に区分,それぞれの長を定めた。千戸の数は帝国の拡大に伴って増大し,帝国の集権化に貢献した。

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世界大百科事典(旧版)内の千戸制の言及

【元】より

…中央政府としては,ハーンのオルドに近侍するケシク(宿衛)の隊長がのちの枢密院使(軍政長官)と宰相とを兼任するほか,別に司法長官に相当するジャルグチ(断事官)が加わって構成されるだけであった。地方官制も太祖元年(1206)の制定にかかる千戸制(88功臣をもって95の千戸が任命された)に基づいて,これまた軍民兼領の千戸長Mingghan・百戸長Jaghunがモンゴル系・トルコ系遊牧民の統治を担当するものだった。もっとも新たな経略地に対しては,とくにダルガチ(監督官)が派遣されて服属国に課せられた義務(戸口調査,募兵,軍糧調達,貢賦徴収,駅伝設置)の履行を監視し督促したが,現地の有力者を安堵してその旧態支配を容認した当時の実情を考えると,目付役としてのこのダルガチ官は厳密な意味でのモンゴル統治制度とはいいがたいかもしれない。…

※「千戸制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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