日本大百科全書(ニッポニカ) 「南串山」の意味・わかりやすい解説
南串山
みなみくしやま
長崎県南高来(みなみたかき)郡にあった旧町名(南串山町(ちょう))。現在は雲仙市(うんぜんし)の南西端部を占める。旧南串山町は1969年(昭和44)町制施行。2005年(平成17)国見(くにみ)、吾妻(あづま)、瑞穂(みずほ)、愛野(あいの)、千々石(ちぢわ)、小浜(おばま)の6町と合併、市制施行して雲仙市となった。旧南串山町は島原半島(しまばらはんとう)南西部に位置し、国道251号が通じる。第三紀層上に玄武岩をのせる緩傾斜の丘陵が直接橘(たちばな)湾に迫る岩石海岸で低地に乏しい。農業は丘陵上の畑作が主で、ユリ根の生産を特徴とし、1940年(昭和15)の最盛期には100万球前後を輸出したが、現在は副業にとどまり、かわってジャガイモ、タマネギの特産地に変貌(へんぼう)し、ミカン園も拡大している。ジャガイモは春・秋の年二作で、1968年以来畑地灌漑(かんがい)が進み、生産性を高めている。漁業はカタクチイワシの網漁業が主で、煮干し工場が多く、京泊(きょうどまり)漁港がその中心をなしている。京泊には神功(じんぐう)皇后寄港の伝説がある。付近の児島(こじま)には海神を祀(まつ)る宗像神社(むなかたじんじゃ)があり、国崎(くにさき)はハマユウの咲く景勝地。各集落は、島原・天草一揆(しまばらあまくさいっき)で住民のほとんどが殺され、その後、伊予(いよ)・讃岐(さぬき)(四国)や大村・平戸(ひらど)両藩からの移民によって再編成されたもので、方言・風習などいくつかに分かれている。また、「井上」「和田」など同姓者がきわめて多い。
[石井泰義]