南伊勢(読み)みなみいせ

改訂新版 世界大百科事典 「南伊勢」の意味・わかりやすい解説

南伊勢[町] (みなみいせ)

三重県南東部,度会(わたらい)郡の町。2005年10月南勢(なんせい)町と南島(なんとう)町が合体して成立した。人口1万4791(2010)。

南伊勢町東部の旧町。度会郡所属。人口1万0266(2000)。西から北にかけて標高300~500m級の山が連なり,町内中央部に竜仙山(402m)がある。南は熊野灘に面するが,五ヶ所湾が深く入り込み,リアス海岸を形成する。湾内には獅子島などが浮かび,風光に富む。町内西部を伊勢路川,東部を五ヶ所川が流れ,ともに五ヶ所湾に注ぐ。古くは伊勢神宮領の御薗(みその)や御厨(みくりや)が置かれたところで,中世には,五ヶ所城などに拠った愛洲(あいす)氏が一帯を支配したが,北畠氏に敗れ滅亡した。五ヶ所城跡には愛洲氏の居館跡や墓がある。近世は紀州藩領で,五ヶ所浦に藩の番所が置かれていた。相賀(おうか)では製塩が行われた。現在は水産業と農業が中心で,カツオ,マグロの遠洋漁業や,真珠ハマチ,タイ,ヒラメ,ノリの養殖,ミカン栽培などが行われる。町域は伊勢志摩国立公園に含まれ,鬼ヶ城と細谷には暖地性シダ群落(天)がある。

南伊勢町西部の旧町。度会郡所属。人口7969(2000)。紀伊山地南東端の山地が海岸線に迫り,南はリアス海岸をなして熊野灘に面し,贄(にえ)湾,神前(かみさき)湾などが湾入する。全体が山がちで,大部分が常緑広葉樹の自然林で覆われている。古くは伊勢神宮の神戸や御厨が置かれていた。沿岸部には平家の落人が開いた隠田集落と伝えられるところがあり,製塩を業とし,地名に竈(かま)のつく八つの集落が〈南島八ヵ竈〉と呼ばれた。大方竈にある八幡神社を共通の氏神とし,正月に竈方祭が行われる。江戸時代は紀州藩領であった。神前浦,古和浦,奈屋浦などの漁港を基地とした揚繰(あぐり)網漁と真珠,ハマチ,タイの養殖が盛ん。沿岸部は伊勢志摩国立公園に含まれ,国道260号線が東西に走る。なお江戸時代の商人で海運や土木,治水に活躍した河村瑞賢は当地の東宮の出身。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南伊勢」の意味・わかりやすい解説

南伊勢(町)
みなみいせ

三重県中南部、度会郡(わたらいぐん)にある町。2005年(平成17)南勢町(なんせいちょう)と南島町(なんとうちょう)が合併して成立。北側は紀伊山地東端の山々が迫り、南側は熊野灘(なだ)に面する。海岸は、五ヶ所湾、贄(にえ)湾、奈屋(なや)浦、神前(かみさき)湾、方座(ほうざ)浦などが続き、典型的なリアス地形を示している。湾岸には漁港が点在し、沿岸・沖合漁業が盛ん。湾内ではマダイやハマチの養殖も行われる。農業は稲作を中心に、施設園芸、畜産などが行われ、五ヶ所湾周辺の丘陵は五ヶ所みかんの産地となっている。国道260号が町を横断する。海岸部、および北東部の山地は伊勢志摩国立公園(いせしまこくりつこうえん)の指定地域で、別荘地の開発やリゾート施設の建設が進んでいる。五ヶ所浦にある五ヶ所城跡は県の史跡、押渕(おしぶち)の鬼ヶ城(おにがじょう)と細谷(ほそたに)の両暖地性シダ群落は国の天然記念物に指定されている。そのほか、熊野灘を望む景勝地の鵜倉(うぐら)園地がある。なお、旧南島町地域には平家落人(おちゅうど)が隠れ住んだという竈(かまど)集落がある。竈方(かまかた)ともよばれ、かつては製塩業を生業として8集落があったが、安政年間(1854~1860)の津波で1つは廃村となった。面積241.89平方キロメートル、人口1万0989(2020)。

[編集部]


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百科事典マイペディア 「南伊勢」の意味・わかりやすい解説

南伊勢[町]【みなみいせ】

三重県中央部,志摩半島の西部に位置する度会郡の町。南部を太平洋に面し,リアス式海岸が連なる。2005年10月,度会郡南勢町,南島町が合併し町制。国道260号線が通じる。241.89km2。1万4791人(2010)。

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